【文豪】

飛んだのは、あなたの声だったから

 走っている。そんな夢を、見ていた。
 白い空間の中、無我夢中で。何かに追われているわけではない。何かを目指しているわけではない。
 それならなぜ走っているのかと、問う人もいなくて。だからずっと走っていた。
 走ることは、好きではない。歩いている方が考え事もはかどるし、もともと運動が得意なタイプではないのだ。
 それでも、今は走ることが苦ではなかった。疲れもなかったし、走らなければという使命感に燃えていたからだ。
 それなのに。
 道が消えた。視界は真っ暗になり、足下は覚束ない。どこをどう進んでいるのかは全くわからないが、不安と焦燥感で頭が一杯になった。
 飛べ!!
 耳を疑う。こんなところで飛べと。道がないのに飛べと。しかしその声は確かに心地よく耳に響いた。
 飛べ────!!
 考える間も持たず、それに従って少女は飛ぶ。瞬間、あの日の町が小さく見えた。空を飛んでいる。否、落ちていく。
 あの日、まだ強さとプライドの区別がつかなくて、どうしようもなく子供だったのに爪先立ちをしていたあの日。あれが転機だったのだろうとぼんやり思う。
 きっとあの日だけではない。転機なんてそこら辺に転がっていて。嗚呼違うわ。転機なんてそこら辺に転がっていると思うから駄目なの。
 死にたいと思ったことはなくて、でも死んでもいいとは思っていた。何の為でもない、自分の為に。ああもう、死んでもいいな、と。
 それでも今、生きたいと思っている。風のような速さで死に近付いている今、ようやく生きたいと思った。
 あの人の大きな背中。追いすがることもできずに。いつかまた会えたら、という今でも鼻で笑えない運命を信じた。いつから、と問いかけることは最後まで出来なかったけれど、それでもお別れの言葉を言わなかったから。あの人はきっと、ズルいだけの人じゃないといつまでもいつまでも、待っている────。
 だから生きなきゃ。進まなきゃ。
 必死で足掻いた少女の手足は、虚しく空を切る。雲に触れたけれど、案外冷たかったな。
 すっと涙が頬を伝う。
 進んでない。進まなきゃと思っているのに、ずっとあの人に縛られたまま。わかっている。もう随分前から、わかっているのに。
 もう戻ってこないんですね。だってお手紙も来ませんものね。もう二年も、来ませんものね。風の噂であなた────。でも、信じていたかったから。飛んだのは、あなたの声だったから。
 あの人がいなくなったのなら、あの人に向けていた愛はどこへ行くの。消えてしまうの。消えてしまうの。
 それはそれでいいのかもしれない。あの人はいないのだから。
 笑ってしまう。こんなにも愛しているのならなぜあの時、と。後悔はもうしてもしょうがないけれど、今まであの人を信じていたことは誇りでもあるから。
 瞳を閉じる。
 でももう、終わりにしよう。進めやしないから。あの日よりは守るものもたくさんあって、そのために生きなければ。そうでしょう、あなた。あなただって、そうだったんでしょう?
 そう微笑んだ瞬間に、世界がクルリと反転した。

 瞳を開けると小窓から、月明かりが眩しかった。少女には、どうしようもなく眩しかった。

著者

緒川 火華
緒川 火華
 密かに小説家志望です。情景描写が苦手ですので、厳しい目で見てやってください。
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