【文豪】

記憶と現実 <5-1>


 十一月のある夜、バイト仲間だったエレナに誘われて渋谷のクラブに行った。渋谷の街は相変わらずその日も人でいっぱいだった。外は寒かったのに、ロッカーが空いてないかもしれないからと、エレナは白い半袖のTシャツにフリルのついた黒いミニスカートで、先の尖がったスエードの黒いブーツを履いていたが、ロッカーは空いていて、私だけ小さな荷物を店内のロッカーに預けた。彼女の友達のDJに挨拶をしたあと、二階に上がって酒を飲んだ。一階を見下ろすと、機械的に同じ動きをする二本の細いレーザーの黄色い光と湿った白い靄の中で、群がって踊っている人たちが見えた。一杯目を飲み終わった頃、色白で小柄の少年のような幼い顔をした若い男に声をかけられ、三人で少しの間座って話をした。その男は完全に酔っぱらっていて、何にでも楽しそうにけらけら笑っていた。これから別の所に一緒に飲み行こうと誘われ、エレナが断ったが、男が聞こうとしなかったので、私たちは席を立ちその男のもとを去って歩き出したが、しばらくして振り向くと、その男は私たちのあとをついてきていた。気持悪さを感じた私たちは階段を駆け下りて、一階のホールを目指して走った。爆発的に迫ってくる大きな音と、息苦しいほどの籠った熱気と、汗と酒の混ざった匂いの中で、静かにリズムをとっている知らない人々の間を全力で駆け抜けた――ホールにはぎっしりと人がいたにもかかわらず、不思議なことに、私たちは誰一人突き飛ばしたり押し倒したりするようなことはなかった。それは映画のワンシーンのように、みんながエキストラで私たちが走ってくるのを知っていて、上手くよけてくれているようだった。私たち二人は何度か男に腕をつかまれ、それを振りほどきながら、べとべとしてむっと湿った一階から、小さなバーになっている狭くて暗い、涼しい地下一階を抜けまた一階に戻ったが、それでも驚いたことにまだ男はついてきていたので、また二階に上がったり一階に下りたりを何度か繰り返したあと、やっと男の姿が見えなくなった。ただでさえ暑い場所で、私たちは全身にかけるだけの汗をかいていた。またその男に会わないよう、私たちは少し離れたところにある別のクラブに移動した。そこは先ほどのクラブに比べるとかなりこじんまりとしていたが、全ての壁に豪華な西洋風の飾りのついた小さな鏡が隙間なく掛けられていて、壁に沿って二列に大きなソファや一人掛け用の小さなソファが置いてあった。

「さっき怖かったね」

「あんなこと私も初めて! 普通ないよ。なにあいつ」

 長い睫毛に守られた彼女の可愛くて大きな黒い目が、太い眉毛に上から押されてけげんな表情をつくった。私たちはしばらくソファに寝転んで休んだ。もうとっくに十二時を過ぎていて、私は眠くなってきていた。うとうとしていると、彼女が勢いよく立ち上がった。

「もう一杯飲もう!」

 ウィスキーを買って、また私たちはソファに座った。私は一人掛けのソファで頭をのけぞらせ、だらしなく天井を見上げて座っていた。彼女は私の隣で、二人掛けのソファの硬い肘掛けに頭をのせて、横になってくつろいでいた。飲んでいるうちに、私はまた夜の楽しさを思い出すことができ、快活さを取り戻した。

 飲み干すとまた一杯買って、バーカウンターのすぐ横のテーブル席に移った。真正面に座った彼女の伏せた目の青いアイシャドウが

悲しげに光ったように見えた。

「こうして遊んでられるのも今のうちかなー」

「そうかな」

「そうだよ。もうすぐ三十じゃん」

 彼女は私より三つ年上だった。

「もうほんとやだ! なんかもう、もうすぐオバサンっていうか――もう街中で誰にも声かけられなくなって、若い子っていいわねってなるんだよ。思うんだけど、どんなにかわいくて美人でスタイルもよくって、性格もよくって料理もできて頭もよくて完璧でも――いや何も私がそこまで完璧ってわけじゃ全然ないよ? (彼女は自信がありそうだった)でもさあ、でもやっぱり、若くなくっちゃだめなんだよね。みんな年取るのはわかってるんだけど、しょうがないことなんだけど、なんか寂しいっていうかなんていうか――はは」

 私は母が「若いだけでいいじゃない」とよく言っていたのを思い出した。

「若作りしてもだめなんだよねー。ほんと女は若いってだけで――いや、若くてもかわいくなかったらだめかもしれないけど――

 彼女は溜め息をついて、下を向いた。目の前の彼女のくるくるしたきれいな黒髪、小さな顔、大きな胸、メリハリのある引き締まった白い身体を見ると、自分たちが年をとっていくということに、全く現実味が感じられなかった。

 

著者

Ria
小説家志望です。
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