【文豪】

記憶と現実 <1-2>

愛はいすに座ったまま横を向いて友達と話していた。二人は学生の頃の話をしているようだった。私はしばらく愛の横顔を見つめていたが、いま他の友達と話している愛と、私と話していた愛とは別人のように感じられた。基本的にはいつも通り落ち着いた様子ではあったが、私と話していた時よりも少し高めの大きな声で話し、その子が何を言っても終始表情を変えず笑顔だった。人は相手によって無意識に、または意識的に自分を変えているものだ、声の大きさ、話す速さ、話題、相槌、表情、態度――それはある程度はコントロールできるものではあるが、ほとんどの人は自然にしているものだ。好きな人や気に入られたいと思う相手には自然と口角が上がり瞳孔が開き熱心に話を聞くが、そうでもない相手のことは軽く見て無意識に冷たい表情をつくり無視することすら厭わない――特に自制心がない人はあからさまに――その不平等さに我慢ができないこの苛立ちは、一体どこから来るものなのだろうかと、思いをめぐらせた。

最初は冷静に愛の小さな鼻や長い睫毛を観察していたが、しばらくして私の中の自意識過剰な弱さがついに我慢ができなくなり肌の表面にその姿を現し、彼女は私といる時間を本当に楽しく思っているのだろうか、という根拠のない不安感に襲われた。私は自分が疎外感を感じ始めているのを認めざるを得なくなった。愛から視線を移して薄暗い店内にいる人々の様子を眺めた。皆それぞれ満ちたりた顔をして楽しそうに静かに酒を飲んでいた。

話し方、声、話す内容、態度、考え方、顔、体型、姿勢、歩き方、服装、髪型、あるいは出身、財力、仕事、家族――嫌われたり、馬鹿にされたりするのには、一体どれだけの要素があるのか、考えはじめたら切りがなかった。特別嫌なことがあったわけではないのに、仕事で疲れ切っているせいか悪口や愚痴――以前はそういうことを言っている人たちのことが大嫌いだった――否定的なことを考えるのが習慣のようになっていて、それが今の自分には当たり前で仕方がなかった。

しばらくして空腹を感じ、私はテーブルの反対側にあったメニュー表を自分のほうへ引き寄せた。少しべたべたする写真付きの黒くて分厚いメニュー表には、太めの白い個性的な字で料理名がきれいに書かれていた。私がメニューを見始めると話が終わったようで、愛の友達は少し遠くのテーブルへ行った。私たちはブリトーを追加で頼んだ。メニューの後ろに書かれた魚を持った料理人のイラストを見て、その絵の変にリアルな影のタッチに愛が笑い始めた。私もつられて笑った。

その後二時間ほど満足するまで飲んで食べ外に出ると、淡い紫色と紺色の混ざった今まで見たこともない重く息苦しい色が空を満たしていた。見ていると危うく飲みこまれそうだった。たくさんの飲み屋が続いていて、顔をしかめなければいけないほど眩しく賑やかな通りを、駅まできょろきょろしながら歩いた。仕事終わりのサラリーマンや、夏休みで遊び呆けて無理をして酒を飲んでいる大学生たちが見えた。五分もしないうちに四ツ谷の駅につくと、いつものように手を振って別れた。口に出しはしないがお互いの満面の笑顔を見て、相手も楽しかったのだろうと確信を持ち安心して別れることができた。これは普段から度々思うことだけども、電話もメールも、なぜ発明されてしまったのだろう――それがなかったらおそらくもっと私たちは直接会って話して、笑い合う時間を持つことができたかもしれないのに――

少し酔ってフラフラする足元に気をつけながら、先ほどのロバの話と愛が私に言った言葉の一つ一つを丁寧に何度も思い返していた。もっと自分の好きなことを――愛だってできてないじゃないか――思い返しているうちに徐々に怒りが込み上げてきた。しかししばらくしてまた考え直して、いやそんなことは問題じゃない、彼女は心配してくれてたんじゃないか、彼女は私のことを想って言ってくれたんじゃないか――私のために本当は言いたくもないことを、言わなくてもいいことをあえて言ってくれたのだ。

好きなものはたくさんある――音楽、映画、ドラマ、アート、小説、ファッション、メイク、旅行――どれも好きだ。自分には一体どんな才能があるのだろう? 何になれるのだろう? 何になるべきなのだろう? 世界はこんなに広くて何にだってなれるのに、なんのリスクもとらず可能性をつぶすことをむやみに恐れて不満を高く高く募らせながら、私は毎日ただ考えていた。考え尽くしたところでそれをやり遂げる勇気や忍耐や情熱が本当に自分の中にあるのかどうかは、考えていなかった。私は実行するということを軽視していた。なんでも言うことはできるが、何もすることができなかった。九月の末の空気は、私の熱く火照った頭と身体を冷ませるほどにはまだ冷たくなかった。

著者

Ria
小説家志望です。
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