【文豪】

記憶と現実 <1-1>

  その店に行ったことがあるのは実際まだほんの数回だったが、何故だかそこの店員はしっかりと私の顔も名前も覚えていて、違う連れと行ったときでもすぐに気付き「お久しぶりですよね、三か月ぶりくらいですかね?」と嬉しそうに言った。そこはメキシコ料理が美味しいバーで、愛と一緒にいつものようにチリとタコスを頼み(チリとタコスを食べればだいたいその店が美味しい店かどうかがわかると私たちはよく言っていた)、わずかに黄色がかった暗い店内で、キャンドルのように美しく輝くテキーラを手にしながらアートについて語りあった。

「最終的にはモダンとかコンテンポラリーってことでまとめられて、それから新しいジャンルが出てこないよね。六十年代位までは(愛と私は完全な六十年代狂だ)色んな流れがあったのに今はもう何もなくて、全部モダンアートに入れられて、誰も批判しないよね」

「『自己表現として何でも肯定される』的な意識改革みたいのがあったから――誰でもアーティスト気取りで、自己満足っていうか。概念とかプロセスはまぁ理解できるんだけど、実際クオリティ低いのもあるよね。なんか適当に作ったって感じで、そんなに熱狂的にファンになれないし――

「こないだモダンアートの美術館で普通に作品に手置いてる人見たし! まぁ確かになんか薄い木の固まりをちょっとこうずらして重ねただけのものだったけどね――

「でもモダンアートを批判する人を見ると、それも違う気がするんだよね。それは徐々に進化していったわけで――写実的なものだけが良いっていう人も違うと思う」

 こういう感じの、いま私たちが話したところで全く何も世界に影響を及ぼさないような話――そこには無知や偏見に紛れて、確かに一定の真実があったように思う――私たちにとっては何より重要な話だった。私たちが理想にしたのは考えることなく一瞬でその魅力がわかり、みるみるうちに奥行きを感じ、興奮や新しい感覚を呼び起こすと同時に、人々の中に共通に眠っている何かを目覚めさせ結び付けるような特別なものだった。目の前に引かれたただの一本の直線を見て、それがアートなのかアートでないのかを議論することではないのだ――そんな議論に一体どんな価値や意味があるのだろう?

 彼女とはもうかなり付き合いが長く、何に関してもだいたい趣味が合った。彼女は優しいし人並みに以上に協調性もあるから、もしかしたらある程度は私に合わせていた部分も少なからずあったのかもしれないが、それでも彼女は本音と大きくかけ離れた嘘がつけるような人間ではないということは、長い付き合いからわかっていた――私たちは時には奇妙なほどに同じことを考え感じていて、無理をしたり自分を偽ったりする必要がなく、誰といるよりも居心地が良かった。私たちの趣味や本当に微妙な感覚の近さが、単に小さい頃から一緒にいることにより自然と似ていったものなのか、それとも遠く離れた場所でそれぞれお互いを知らず生まれ育ったとしても似たものになったのかは、永遠にわかることはない。すぐにでもいじめられそうなほど気弱で自分に自信がなかった学生時代、彼女の近くにいたおかげでほとんどいじめられることもなく、辛い思いをせずに済んだ。愛は私よりだいぶ背が高く、黒くて長いしなやかな髪はいつも首の後ろできれいにまとめられていた。だいたい赤か、緑か、紫といったはっきりした色の個性的な服を着ていて、どこにいても堂々としていてとても目立っていた。

「たぶん亜里沙に話してなかったと思うんだけど――前に研究(彼女の専攻は教育学だったと思う)で読んだ本の中に出てきたんだけど、ロバが全く同じ二つのエサのうち(藁か何かだったっけな?と首をかしげた)、どちらから先に食べようか悩んで迷ってるうちに、餓死しちゃうっていう話があってね」

私はそれを聞いて笑った。

「は? どっちでもいいから早く食べればいいのに。なんで餓死するんだろ」

「ま、例えね。どちらか選びかねて何もしないっていうか――できなくなるっていうね。実際悩んだり迷ったりしてて何もしない人はいくらでもいるじゃん?」

「うん――

私は自分のことを言われたのではないかと思い、乾いた茶色い丸テーブルの向かいに座っている愛の大きな目を見れなくなってしまった。おそらく彼女はそれに気がついたと思う。目を逸らした先の向こうのテーブルの上に、ステンドグラスのように水色や黄色や緑色のガラスが組み合わされている傘のついたランプが見えた――何の模様なのかはよくわからなかったが、特に何かを描いているわけでもないのかもしれなかった――薄暗い店内で優しい明るさを放っているそのランプに私は助けを求めた。

「亜里沙はさ、本当にね――もっと自分の好きなことをやった方がいいと思うよ」

さらりと発せられたその言葉に驚き、私は思わず顔を上げたが、彼女はいつも通り平静な様子だった。そして二人とも、愛が手に取っていたふちに塩のついた厚いグラスを見つめた。私は小さな声で「わかってる」とだけ答えたが、聞こえたかどうかは微妙だった。ただその話はここで終わった。びっくりするような大きな声で愛の友達の女の子が横から近付いてきたからだった。私は少し救われたような、残念なような複雑な思いだった――私は真剣な話をするのが好きだった。

「愛子ちゃん!! 超久しぶりじゃん!!」

よく通る高い大きな声が狭いバーの低い天井いっぱいに広がり、静かな店内にいた全ての人々が一斉に彼女に注目した。愛の高校か大学の友達らしく、すぐに私の存在に気付き軽く挨拶を交わした。――相手の顔の表情や声の調子や話し方から一瞬でその人を判断し私は極度によそよそしい気持ちになってしまい、上手く笑顔を作ることができなかった。初対面でこの人は本音で話してくれなそうだとか根が悪そうだとかいうことをなんとなく感じ取り強く思い込んで、自分から距離を置いてしまうのは私の悪い癖だ。――確かに実際嫌なやつだったとあとでわかることも多いが、実は今までのそれが私の全くの勘違いで、陰湿で幼稚な臆病さに起因する思い込みだったとしたら――もう少し人生の中で楽しい時間を多く持つことができたかもしれなかった。

 

著者

Ria
小説家志望です。
お気軽にコメントいただけると嬉しいです^^
【この作品の最初の評価者になりませんか?】

5段階で評価をお願いします!一番左が「1」、一番右が「5」となっています。
※一度評価をしますと取り消しができませんのでご注意ください。


次回に期待・・・もう少し普通良い文章最高! (まだ投票されていません)
Loading...
コメント 0件

コメントはこちら

Return Top