【文豪】

真白き雪のような君へ【15】

「姫よ、そもそも汝はスノウホワイトではない。グリーンウッドの胎にいた真のスノウホワイトは冥界におる」

 スノウホワイトを含め、その場の全員が色を失った。

 サンシャインは物問いたげにクレセントを振り返る。
 剣を抜き、身構えている叔父は険しい顔で首を振った。
 二人にとっても、全く予想外の話だった。

「寝耳に水か、光焔の魔女よ。さもあらん、彼の御方は何も話し聞かせておらぬのだろう。良き機会だ。一時、講釈して進ぜよう」

 ナンビィングは面白がっているようだった。 

「魔女よ、ブルーヘイルを助くるとき、汝の光焔が滅するものは王の身体に取り憑いた虚無の魂たる虚魄(こはく)である。光命の者どもは、我と約せし者は虚無になると信じおるのだろうが、それは誤りだ。本来、生命と虚無とは相容れぬ。一方が一方に変じることはない」

「じゃあ、私って?」

 スノウホワイトの問いに、ナンビィングは鷹揚に答える。

「グリーンウッドの赤子は死産の運命であった。汝は胎の中で死んだ赤子の身体に、虚魄を納めし者。単に我と約して虚無の奴隷に甘んじる愚者とは別格。生命より生まれし虚無という世にも稀なる存在。我等が待ち望んだ虚無の醒母(せいぼ)である」

《虚無の醒母……》

 サンシャインの背中を戦慄が駆け上がった。

「ゆえに姫よ、魔女の小言は的外れである。汝は元より虚無。つまりブレスドレインが愛したのは虚無としての汝である。人であるかないかなど無意味なのだ」

「そうなんだ!」

 スノウホワイトは破顔し、声を上げた。

《スノウが元から虚無……、そんな馬鹿なこと……》

 サンシャインは再度叔父の顔を見た。
 しかしクレセントはやはり首を振るだけだった。

「ふむ、あの御方は秘密主義でいかん」

《あの御方?》

 ナンビィングはサンシャインの問いを無視して続ける。

「それより魔女よ、尋ねたきことがある。汝は姫の婚約を関知しておらぬというが、それは真か? 王女の婚儀という国家の重大事に王妃が関わっていないとは到底思えぬのだが」

《――何を》

 ナンビィングは神出鬼没、今日一日の出来事をどこかで見ていたに違いない。
 
「さらにブレスドレインの婚約。汝に知らせず父王が決めるだろうか。汝は全て承知していたのではないか? その上で姫に黙っていたのではないか?」

《レインが婚約? 初耳だわ! それに知ってたらスノウに黙ってるわけない。そんな酷いことしない!》

 サンシャインは目に怒気を含んだ。

「ふむ、沈黙は酷いか、魔女よ。ならば答えるがいい。汝がイースに輿入(こしい)れした真の理由を」

《そ、それは……》

 サンシャインは宿敵の予期せぬ論難に絶句した。

「汝は姫を監視し、万が一虚無へと変わったとき、その命を奪うためイースに来たのであろう」

「私を監視して……、殺す……?」
 
 スノウホワイトの声から温かみが失われていく。

「それを黙ったままでいた汝は、やはり酷くはないか」

「――そうなの? 姉様」

 針のように細められた濃紫色の視線がサンシャインを突き刺した。

《違うのよ、スノウ。私は貴女が虚無に変わらないように守ってきたの》

「語るに落ちたな、魔女よ。やはり汝は姫を監視していたのだ。そして今、リダラとクレセントが抜き放った剣。それが意味するところは言うまでもない」

「私を……殺すため……」

 噛み締めた奥歯から搾り出すようにスノウホワイトは呟いた。

「姫よ、この魔女は表面では愛しているなどと言いながら、心底では何時汝を殺そうか算段していたのだ」

《ち、違うのよ、スノウっ! 騙されないでっ!》

 心の声は必死に潔白を訴える。
 しかし両拳を握り締めて俯くスノウホワイトには届いていなかった。

「汚い……。汚いわ、姉様……。姉様はあいつらと違うと思ってたのに……」

 スノウホワイトはゆっくりと顔上げる。
 怒っているならまだ救いがあったかもしれない。

 だが彼女は微笑んでいた。

 全てを悟り、諦めきった笑顔は、清らだけれど凄まじい怒りに満ちていた。
 細められた濃紫の瞳から赤い涙が頬を伝い流れ落ちる。
 
「姉様のはらわたからも腐臭が漂ってくる。レオナインやブルーヘイルと同じ臭い……」

 流れ落ちていた涙の赤い色は次第に薄らいでいき、終には青へと変わった。
 そしてそれと同時にスノウホワイトの顔から一切の表情が消えた。
 
「ああ、よきかな。その涙は、魔女との宿縁を断ち切った証。これで汝の力はいや増すであろう」

 非人間的なナンビィングの声が悦びに震えていた。

「姫よ、なぜ奴等が汝を滅したいかわかるか? 怖いのだ。自分達は何の力もない脆弱な存在。比べて汝は比類なき絶対者である。それが許せんのだ。ゆえに汝が目覚めぬよう人間という枠に縛りつけようとし、更にそれがかなわぬと知り、今は剣を向けおる。なんとも卑しく、狡猾ではないか」

「――本当ね。こんな奴等、世界に必要ない」

 赤黒いザクロの光沢を湛えた唇が発した言葉は万年氷より冷たかった。
 スノウホワイトの背後から青い炎が立ち上る。
 裏庭で感じたときとは比べ物にならないほど膨大な虚無の力が白い裸身に集っていく。

《スノウ! ダメっ!》

「お下がりください!」

 スノウホワイトに駆け寄ろうとしたサンシャインをリダラが制した。

「諦めて下さい、主様。やはり御二人は、生命と虚無の存在をかけて戦う宿命なのです」

 サンシャインはその場に崩れ落ち、音の無い叫びを上げながら、狂ったように何度も屋上を叩いた。

 リダラは座り込んだサンシャインの前に立ち、再びスノウホワイトに剣を向ける。
 その横に剣を構えたクレセントが並ぶ。

「閣下、主様をお願いします」

 リダラはクレセントを一瞥することもなく言った。

「お前一人で大丈夫か」

「主様同様、私にも虚無の力は無効です。たとえどれほど強大であっても」

 スノウホワイトが腕を伸ばしリダラを指差した。
 青い光線が指先からほとばしりリダラを直撃する。
 しかし、彼女が掲げた盾が光線を遮り、青い光は四方に飛散した。

 光線の衝撃力でリダラは一歩後ずさるものの、自身の言葉通り、全く痛手を受けていなかった。

「ふむ、やはりか。この場で最も厄介はリダラ、汝よ。醒母の力を持ってしても汝を退けることあたわず。ゆえに別の力が必要となる……」

 そのとき南の空から腹の底に響くような咆哮が聞こえた。
 
「やれやれ、やっとおいでか」

 ナンビィングの声に安堵の響きが混じる。

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