【文豪】

夏の黒煙2


 それから私と彼女との間に何があったのかというと、驚くほど何もありませんでした。お互い、街中で会っても特に挨拶もせず素通りする関係が続きました。その頃、私は文芸部に所属していました。彼女は小説が好き、特に川端康成に陶酔していることを知ったからです。私は生まれてはじめて純文学に触れ、それに魅了されました。実は、私がこれほどまでに本を読み漁ったのは、彼女のことを考えていたからなのですが、どうすれば温かい家庭を蘇らせることができるのか、少しでもその答えに近しいものを得ようとしていたということは否めません。そういう点からして、私は本当に読書を楽しむことはなかったのです。

 それでも、私は川端康成の小説にひどく感動したのです。幼い頃に父母を亡くし、十五歳の頃についに天涯孤独となった彼が、こんなことをいうのは私の両親に失礼でしょうが、当時の私と重なって見られたのです。その中で最も素晴らしいのは『伊豆の踊り子』でした。天涯孤独のために歪んでしまった性質の主人公が旅で踊り子達と触れ合うことで大きく成長していくという粗筋に私自身の救いを見出だしたからです。

 高校になってそろそろ新生活に慣れようかという頃、ゴールデンウイークのために三日ほど私は手持ちぶさたになりました。当たり前のことですが、私の家には旅行に行くということなど久しくありませんでした。

 その日の朝、母と父が喧嘩をしました。喧嘩といっても、何も喋らない父を母が一方的に怒鳴り付けているだけです。その母が口を歪ませると頬の火傷跡が醜く歪んで、私はそれが気味悪くなって家を出ました。五月の末ではありましたが、その日は暑かったため二つの川が合流するところの河原に涼みに行きました。

 そこに彼女は座っていました。膝を抱えてうずくまっていました。母のことがあったので、私はよく他人の頬を見てしまう癖があるのですが、その彼女の頬が濡れていることに気が付き、立ち去ろうとしていた足を止めました。

「どうして泣いてるんですか?」

「えっ・・・・。」

 彼女は驚いたといった様子で顔を上げました。私が同じクラスの生徒だと気付いたようです。私はまだ子供で、こういうときどうすればよいのかといったことを全く知らないで、無神経な質問が無意識に口から出たのでした。

 「ううん、何でもないの。眠くて欠伸をしただけです。」

 嘘だ、と私は思いました。色々おかしいところはあったのですが、冷静さを欠いていた私はただなんとなくそう感じたのです。

 「嘘だ。ね、ねぇ、本当のことを言って。」

 彼女の美しい黒髪が太陽の光に照らされ、艶やかに光っていました。彼女の目の下は赤くなって、頬に黒髪が一筋垂れていてとても同い年には思えないほど大人びていて色っぽかったのを覚えています。

 「あなたには関係ないじゃないですか。」

 思わず声が大きくなった私に対して、彼女は逃げるように呟いて私が来た方向に走って行きました。これが私と彼女のはじめての会話でした。私は悲しくなってその場にしゃがみ込みました。どうして話しかけたのだろう、無視すれば良かった等といった自責の念に押し潰されそうでした。

著者

uporinn
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