【文豪】

真白き雪のような君へ【14】

「気味悪い」

 リダラを一瞥し、スノウホワイトは毒づいた。

 動じることなくリダラは佇立する。

 顔の無い銀露の人形。
 それが今の彼女を表す言葉。
 だが、これこそが真の姿。

 ――光焔に創られし、鏡の騎士。
    
「リダラよ、今また我等に敵するか……」

 ナンビィングの声は困惑していた。

「推して知るべし」

 語るべき口は失われたが、いつもと変わらぬリダラの声が聞こえた。

 幼い頃サンシャインは、とある貴族の青年に恋をする。
 二十も年の離れた青年は瞳の涼しげな人だった。
 稚拙だったけれど、彼女にとっては真剣なもので、食事も手につかなくなる。

 バンパークロップは心配して幾度も宮廷医に見せた。
 一方、サンライズは笑いながら、ある物を手渡した。

 縁と持ち手が赤色の可愛らしい手鏡。

 恋しい殿方を射止めるには身だしなみに気をつけなくてはと母は片目をつぶる。
 サンシャインは、そのとき初めて女が生まれ持つ武器を自覚したのだった。

 結局、小さな恋には破れてしまったが、赤い手鏡はサンシャインの宝物となる。
 次の誕生日に父が豪奢な鏡台をくれた後も、手鏡はいつも彼女の側にあった。

 しばらくして平穏な日々はあの戦争で終りを告げる。
 大切な宝物はいつしか、うら悲しい形見へと姿を変えた……。
 
 ヴァナの湖へ行く前に叔父は言った。
 お前が大切にしている物を一つ持っていくのだと。
 言葉の真意はわからなかったが、サンシャインは迷わず手鏡を手に取った。

 星降る湖で自分に跪く女性が、実はあの手鏡だと知ったとき、驚きと歓びに満たされた。
 母が自身の代わりに彼女をよこしてくれたのだと思わずにはいられなかった。

 無愛想で頑固で、戦いとなれば歴戦の猛者でさえよせつけない。
 でも、うるさいくらいに世話焼きで、過保護なくらいに優しい。
 誇り高き赤毛の女騎士。
  
 蛇龍神殿の長である光龍妃は彼女をレテニュと呼んだ。
 光焔の力を得た者に、失ったものの代償として遣わされる守護者という意味である。

 手鏡は再び姿を変えたのだ。
 うら悲しい形見から愛すべき友人へと。
 
 リダラの両手が再び銀色の光を放ち始める。
 右手の光は長く伸び、左手の光は放射状に広がる。
 光が消えると右手には鋭く反った片刃の剣、左手には滑らかな円形の盾が現れていた。

「姫よ、存外私は貴女が好きでしたよ。貴女は無邪気で可愛らしくて、そして何より主様が愛していらした」

 リダラは右手の剣をスノウホワイトに向けた。

「それゆえ、残念でなりません。貴女を滅せねばならぬことを」

 スノウホワイトは肩をすくめる。

「意外な告白ね、嬉しくないけど……。でも、私を滅するってとこは気に入ったわ」

 壮絶に美しい淫魔は濃紫の瞳を輝かせ、耳元まで口を裂いて笑った。
 リダラは腰を落とし臨戦態勢をとる。
 二人の間に閃く殺気がサンシャインの全身を刺した。
 
《待って、リダラ》

 サンシャインは殺気の中に割って入る。

 目鼻の無い銀面がサンシャインを見た。
 表情はなくても不満げな気持ちが伝わってくる。 

《少しだけ時間をちょうだい》

 リダラは渋々剣を降ろす。
 
《ごめんね》

 サンシャインは謝りながら、変わり果てた従姉妹へと向かう。
 そして指を使わずに心で語りかけた。

《スノウ、今の貴女なら私の声が聞こえるでしょ》
 
「ええ」

 スノウホワイトは楽しげに小首を傾げる。

「姉様の声が聞けて嬉しいわ」

 皮肉なことに、心の声は敵である虚無にも届くのだった。

《レオナイン殿下の仕打ち。さぞ辛かったでしょ……》
 
「大丈夫、もう何とも無いから」

 朗らかなスノウホワイト。
 サンシャインは歯をくいしばり、首を振った。

《それじゃダメ。ダメよ……。あんな目に遭わされた人間が、平気でいちゃ》

「何言ってるの?」
 
《――貴女は今、死ぬほど苦しんで、泣き喚いてなきゃ……、そして私やレインが慰めるの……。この先、辛い人生になるかもしれない。でも私達がいる。生涯側にいて、あなたを愛し、支えるわ。何十年後かに、人生の充実感が今の苦しみを上回って、柔らかな幸せに満たされる日まで……》

「下らない」

 スノウホワイトは言いはぐらす。
 
《下らなくないっ!》

 サンシャインの心の声は音にはならない。
 しかし悲痛な叫びは心の壁を越えて外気を振動させた。
 あまりの激しさにスノウホワイトは息を呑む。

《辛いからって虚無になってどうするの! 一時は楽かもしれない。でも、きっと後悔するわ。苦痛は無いけれど、温かみも愛情も無い。永く空虚な時間を》

 サンシャインの瞳から大粒の涙がこぼれた。
 スノウホワイトは顔をしかめて、目をそらす。

《ブルーヘイル陛下も虚無と約したけれど、まだ人の心を保ってる。抗う気持ちがあれば、虚無の奴隷にはならないわ。だから貴女も虚無と戦って! 人の心を取り戻して!》
 
 スノウホワイトは侘しげな笑みを浮かべる。

「――私のお腹には、レオナインの子がいるの」

 今度はサンシャインが息を呑む番だった。
 
「驚いた? この子の父親を殺したのは母親の私ってこと」

 スノウホワイトは両掌で、あらわな下腹部を包む。
 
「そしてレオナインをけしかけたのは、人の心を保った御立派な国王陛下」

 濃紫の瞳が、すがるようにサンシャインを見つめた。

「――人の心って何? 自分の娘を犠牲にしたり、嫌がる女を力ずくで犯したり、生まれ来る命を憎んだり……。そんなものが大切なの?」

 予言に言われた『闇』とはこのことだったのだ。
 相談もせず婚約を決めただけでなく、娘を襲わせるとは。
 サンシャインの胸は潰れる。
 
「争い腐れた世界にも、薄汚い人間にも、うんざり。虚無になって静かな世界で暮らすわ」

 月を見上げるスノウホワイト。

「今の私はあの月と同じ。永遠に美しいままだわ」
 
 サンシャインは肩を落とし、両手で顔を覆う。
 両目からは絶え間なく涙が流れた。
 スノウホワイトが哀れでしかたなかった。

《――私のスノウじゃいられないの?》

 想いが言葉になってあふれ出した。

《レインはどうなるの。あの子は心から貴女を愛しているのに……》

「兄様が……」

 スノウホワイトの声に戸惑いが混じる。
 わずかな希望を見つけ、サンシャインは顔を上げた。

《レインはきっと貴女に人でいて欲しかったはずよ》

「今更、そんなこと……」

「いささか誤解があるようだ」
  
 スノウホワイトの動揺を抑えるようにナンビィングの不吉な声が闇を揺らめかせた。

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