【文豪】

勘違い(下)

 僕は差し障りのない言葉を探して、「読みたい本でもあるのか?」とアレフに言った。

 「ううん」とアレフは答えた。「落ち着くからここにいるだけ」

 幸いにも、これがきっかけで僕たちはそれなりの会話が出来たんだ。その会話を再現するとしよう。「ここが落ち着くなんてよくない兆候だぞ」と僕は言葉を返した。

 するとアレフは「じゃあ、あなたはもう駄目になってるの?」と言ったんだ。「私が来るずっと前からここにいたじゃない」これには僕もたじろいだね。

 僕は負けじと「僕は教室にいても面白くないからここにいるんだ。明るい場所にいても本が読めなきゃ意味がない」と弁解した。「教室だと騒がしすぎて本の内容が頭に入ってこないんだ」

 「それって、かなりやばくない?」とアレフは戸惑いと軽蔑が混ざり合ったような声で答えた。「クラスよりも本が好きって。一生童貞から抜け出せないかもよ」

 僕はそこで、またたじろいだ。正直に言うと、僕はその時まで女性に対してキラキラしたイメージを持っていたんだ。それなのに、女性からあけすけに『一生童貞』なんて言われた日にはほとんどの男性がたじろぐんじゃないかな。女性からすればあけすけな態度に驚かれることの方が心外なんだろうけど。

 その日はそれ以上話をすることは出来なかったけれど、この会話がきっかけで、次の日から僕は、図書室でアレフと話をするようになったんだ。提出する宿題のことや、読んでいる本のこと――と言っても彼女はほとんど本を読まなかったから、本のことになると一方的に僕が話すことになったんだけど――それにお菓子のこと――こっちは立場が逆で、アレフはお菓子作りが趣味だったけれど、そのころの僕はコーヒー以外の嗜好品は自分から口にすることはしなかった――とか、本当にいろいろな話をしたよ。けれど、『お前、ベートのこと嫌い?』と聞くのは恥ずかしくてしょうがなくて、ベートのことは結局最後まで聞き出せなかった。

 とまあ、こんな感じでアレフと話をするようになってからしばらくたったころ、僕は不思議な体験をしたんだ。不思議、といっても超自然現象の類じゃないけどね。ある晩、僕は午後九時に布団に入ったんだ。ところが全然眠れやしない。カフェインも何も摂っていないのに、胸が、心臓の中でキャンドルが灯ったように熱くなって、むず痒くなり、頭が、脳みそがごっそりとれたように軽く感じられたんだ。そしてアレフの存在感が、僕にまとわりついて離れなくなったんだ。その感覚は、まるで彼女の魂だけが僕と一緒に寝ているようだった。始めのうちは、その感覚に抗って眠ろうとしたけれど、こらえきれずに布団を抜け出したら、まだ月明かりがまぶしい午前一時だった。僕はその月明かりを見ながら、自分の気持ちを一言で表したんだ。『僕はアレフが好きだ』と。

 その後も結局寝付けなかった僕は、アレフに告白するための言葉を考えたんだ。その時に考えた言葉はなんだったか覚えていない。このことで確かなことは、それを紙に書いたことと、日が昇ってからそれを見直したら、あまりに酷い文章だったから紙を破り捨てたことだけさ。

 夜が明けてから高校に行った僕は、授業が始まる二十分前に教室でアレフを見かけた。僕は、告白するなら今だと思って、アレフに「なあ、ちょっと来てくれ」と声をかけた。それから僕はアレフの腕をとって、教室から出たんだ。彼女はかなり戸惑っていたけど、素直についてきてくれたよ。

 僕は告白の言葉を急ピッチで考えながら、アレフを引っ張って、階段の踊り場までやってきた。そして、辺りを見回して、周囲に誰もいないことを確認した後、僕は恥ずかしさや他の人、授業時間がやってくるのを極端に恐れているかのように、素早くこう言ったんだ。「君のことが好きだ、付き合ってほしい」と。

 けれど、僕はアレフにふられた。彼女が何と言ってふったかははっきりとは覚えていない。ただ、丁寧な口調と言葉だったような気がするし、『他に好きな人がいる』とは言っていなかったのは確かだ。そして僕は、ふられたという事実をはっきりと呑み込めないまま、ゆっくりと、その場を去っていった。

 その後、僕はボロボロの心を抱えながら、何とか高校に通い続けた。けれども、ふられてからちょうど一週間がたったころの出来事がきっかけで、僕は三日間高校を休んでしまったんだ。

 その出来事というのは、高校での用事がすべて終わって、僕が帰路についていたころ、アレフとベートが、手をつないで、一緒に帰っているところを見たことなんだ。僕はその様を見て、アレフが落ち着かない理由を理解したんだ。アレフはベートのちょっかいが嫌だから図書室にいたんじゃない、ベートのことが気になっていたから図書室にいたんだ。僕の恋は、図書室で始まった時点ですでに破れていたんだ。僕はその時、手に持っていた『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を地面に落とした。そしてそれを拾いあげた瞬間、無性に悲しくなって、僕は涙で袖を濡らしたんだ。

 正直に言うと、僕はこの話をすると、今でも強烈な悲しみに襲われるんだ。僕はそれ以来、情熱的な恋愛をしていないんだから。

著者

レニ
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コメント & トラックバック

  • コメント ( 2 )
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  1. 時雨薫
    時雨薫

     大変面白うございました。
     勝手に恋して勝手に失恋したのを情熱的な恋愛だなんて言ってしまう主人公の幼さが可愛い。

  2. レニ

    高評価、ありがとうございます。
    気に入って頂けてよかったです。

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