【文豪】

勘違い(上)


 これから、僕の初恋のことを話そうと思う。どうでもいいことかもしれないけど、僕はこの話をするたびに、ある強烈な感情に襲われるんだ。その感情については、今は言わないでおこう。話の後に言った方がいいはずだからね。でも君は、この考えに納得できないと思う。そりゃあ、秘密を前にしてそれを明かしてくれないって言ったら誰だって怒るだろう。でも、僕が話し終わるころには、君も僕の考えに納得するはずさ。

 僕は公立高校に通っていた。公立高校、と言ってもあまり頭はよくない方だけどね。でも、頭はよくないというのも、僕にはよく分からない。僕は高校の専門家じゃないから、何をもって頭がいい高校とするのかが分からないんだ。でも、そんなことは大して重要じゃない。なぜなら、僕の話の中に、微分積分とか仮定法過去とかいうものは出てこないからね。僕は難しい話をするつもりはない。ただ、僕はイシグロ先生やカフカが書くような文学が好きだから、結果として話が難しくなるかもしれない。そうなったらごめん。

 今さっき、僕は文学が好きだと言ったけれど、その趣味は高校に入ったころにはもう僕の中にあって、むしろその時にはそれ以外の趣味は無かったんだ。だけどさ、少し考えてみれば分かると思うけど、今どきの若者でそんな趣味を語り合える仲間がいると思うかい?僕はいてもごく少数だと思うし、僕のクラスメイトにはいなかったよ。

 その一方で、僕のクラスメイトはアニメやらライトノベルやらという、誰でも楽しめるような大衆文化に入り浸っていたんだ。それが、僕が高校生活を送った十年代の流行だったからね。

 しかし、流行。僕にはその流行ってやつが理解できなかった。一瞬見ただけでその本質が理解できてしまうほど浅はかな創作物。そんなものが現れるたびに突き動かされ、同じ色に染まっていく大衆。そういったものを、僕は理解することができなかったんだ。

 そういう訳で僕とクラスメイトの趣味には大きな隔たりがあったんだ。だから、僕はクラスメイトの輪には加わらず、休み時間は専ら誰も来ない図書室で、一人で本を読んでいたんだ。そして、僕の初恋は、その図書室で始まったんだ。

 僕はさっき、誰も来ない図書室と言ったけれど、図書室に誰も来ない理由を説明しておかなきゃならないね。僕の高校の図書室は、日本の高校生が最も嫌う三つが――すなわち、退屈、窮屈、汚らしさが――詰まっていたんだ。その図書室は十畳しかなくて、掃除は週に一回きり。日光もほとんど入ってこないし(電灯はつくから本は問題なく読めるけどね)、床は黒ずんだ木でできているから、少なくとも雰囲気はものすごく暗い。しかも、置いてある本ときたら、ベーコンやらカントやらといった、哲学書とか思想書ばっかり。しかも、愛すべき学校司書も図書係もいない。そんな不気味な図書室に行きたいって君は思わないだろう。それでも結構。しかし、そんな不気味さと、不気味さゆえの静寂を併せ持った図書室は、僕の隠れ家にはぴったりだったんだ。

 おっと、前置きが必要以上に長くなってしまったね。それじゃあ本題に移ろう。ある日、僕はいつも通り誰も寄り付かない図書室で、カフカの『観察』って詩集を読もうとしていたんだ。ところが、誰も寄り付かないはずの図書室に、人がいたんだ。

 僕は恐る恐る図書室に入っていった。その人は女で、入り口に背を向けて座っていた。本当なら、その人の外見を事細かに描写するべきなんだろうけど、ここではしない。何故なら、外見の好みは人によって違うからね。色白で細身なのが好きな人もいれば、色黒で多少ぽっちゃりしていた方がいいって人もいるだろうから。だから、ここではその女の外見は『美しかった』と言うにとどめておこう。

 でも、その女の姿を見た時、僕は美しいとか、可愛いとかいう感情は起こらず、とても動揺した。彼女はクラスメイトの一人で――仮に名前をアレフとしておこう――腕をだらりと机の上で伸ばしていて、椅子に浅く座って、背を曲げて、頭を下げていたんだ。その姿は何かに思い悩んでいるようだったよ。

 僕は近づいて声をかけた。「どうした、こんなところに用なんて」と。

 するとアレフは「教室にいるとなんだか落ち着かなくて……」と答えたんだ。

 でも、僕には、アレフが落ち着かない理由が分からなかった。そこで僕はアレフから理由を聞き出そうとしたんだけど、そうする前に授業のチャイムが鳴ってしまって、聞き出せなかった。

 僕は図書室を出た後も、ずっとアレフが落ち着かない理由を考えていた。その理由に思い当たったのは、その日のうちの、とある座学の授業中だったんだ。

 それは、先生が板書をせずに、僕たちに問題を解かせていた時のことだったと思う。何の時間のどんな問題だったかは覚えていない。けれど、その時間にアレフの身に起こったことははっきりと記憶している。

 僕が自分のノートを覗きこんでいると、突然「止めてよ」というアレフの、とても小さな、けれども鋭い非難の声が聞こえてきたんだ。僕は視線をアレフの席に移した。すると、僕の目にアレフを、クラスメイトの男――こちらの名前はベートと呼ばせてもらう――が突っついてる光景が飛び込んで来たんだ。

 僕がその光景を目でとらえてすぐ、「止めて」とアレフが釘を刺したのを境目に、ベートは悪戯を止めた。その様を見ていた僕は、思春期の青年らしくこう考えたんだ。ベートがアレフに悪戯をするから、アレフは落ち着かないのだろう、と。そう考えながら二人の行動を眺めていると、その考えがますます正しいように思えてきたんだ。ベートは、帰り道でもアレフにちょっかいをかけていたんだから。

 僕はその次の日も図書室に行った。すると、やはりアレフもそこにいた。そこで、僕はアレフに声をかけることにしたんだ。

著者

レニ
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コメント & トラックバック

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  1. 時雨薫
    時雨薫

     作中で二回用いられている「さっき、~と言ったけれど、~」という補足の仕方が目新しく感じました。カフカはそこそこ読んでるけども知らなかったということは、イシグロ先生の文体なのかな?(厳密にいえばイシグロ先生の作品の邦訳の文体ですね。)
     語り手=主人公の語り口には惹かれるものがあります。「ライ麦畑でつかまえて」みたいな。
     ただ惜しいと思ったのは、読者が容易にこの先の展開を予想できてしまうということです。タイトルが「勘違い」でなおかつ最後に主人公の思ったことが語られていては、、、いや、ミスリードだったりするのかな?ミスリードであってほしいな、ミスリードだったらすごいな。
     続きを楽しみにしています。長文失礼いたしました。

    • レニ

       コメントありがとうございます。この作品はライ麦の文体の習作として書いたもので、一般受け(文学にあまり興味が無いような人向け)を狙って書いたものなので、あまり自信は無いです。
       展開についてのアドバイスは参考にさせていただきます。
       後半は時雨薫さんの期待外れかもしれません……

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