【文豪】

チキン南蛮


夜中にふと目が覚めた。私は手で布団を触り、隣に彼がいないことを知る。時計を見ると、夜の二時半だった。私は布団から起きて彼がいる一階の書斎まで降りていった。

「あなた、まだ勉強しているの?」

 書斎で、彼は背中を丸めて難しそうな参考書と向き合っていた。私が声を掛けると、彼は振りかえって言った。

「やぁ、起きてしまったのかい」

「あんまり根を詰め過ぎないでね。あなた身体に悪いわよ」

「大丈夫さ。試験も近いことだし、根でも詰めないと受からないからね」

 そう言って彼は静かに笑った。書斎の灯りの下で、彼の笑顔はずいぶん弱々しかった。今度こそ、彼が試験に合格しますように。私は強くそう願った。

 この国ではチキン南蛮を作るのに、国家資格が必要だ。それは司法試験よりも難しいとされていた。わたしの夫は三年連続で試験を受け、残念なことに試験に落ち続けていた。彼は言った。

「君のためにチキン南蛮を作れるようになりたいんだよ。それに、この世で僕に出来ないことなんてないってこと、証明したいんだ。だから僕は挑み続けるんだ」

 私の親戚や友人たちは、彼の挑戦を笑った。

「あなたの旦那、一体いつまで夢を見ているのかしら。チキン南蛮なんて作れっこないわよ。あんなもの、幻よ。まやかしよ」

「大体、チキン南蛮なんて食べれなくたっていいじゃないの。チキン南蛮のためにそこまでするのって、馬鹿げているわ」

それでも彼は諦めなかった。その諦めない姿勢に私は心打たれた。いつしかチキン南蛮は、彼の目標から私たちの夢へと変わっていった。

試験当日の朝、彼はとても緊張していた。わたしは彼を励まし元気づけるつもりで、彼の好物のカレーライスを朝ごはんに作った。野菜がごろごろ入ったカレーだ。彼にはちょっと子どもっぽい所もあって、いい大人になってもカレーライスやハンバーグが好きなのだった。

「朝からカレーなんて、お腹に重たいなぁ」

 そう言いながらも、彼は嬉しそうに食べた。私はどうか彼が合格できるように祈った。

 そして祈りは届いた。彼は見事に試験に受かったのだ。私たちは喜びの余り踊り狂った。彼は私たちの夢を叶えたのだ。

「これで君のためにチキン南蛮を作ることが出来るよ」

「ええ、そしてあなたに出来ないことなんてないのね」

 今まで彼を笑っていた人たちは、皆、彼のことを見直した。

「あなたの旦那って、とってもスマートなのね。素晴らしいわ」

 彼は妻のために試験に受かった男として話題になり、テレビにも出演した。私たちはそのテレビが放送される日、友人たちを家に集めてちょっとしたパーティーを開いた。彼は皆のために腕を振るい、最高のチキン南蛮を作った。彼のチキン南蛮はとてつもなく美味しかった。なかには生まれて初めてチキン南蛮を食べる者もいて、感動の涙を流していた。私はテレビをつけて、彼が出演した番組にチャンネルを合わせた。すると、臨時ニュースが流れていた。

「何か起きたのかしら?」

私たちはテレビのニュースを見つめた。そこには、チキン南蛮解禁、とテロップが流れていた。チキン南蛮法が改定され、国家資格も必要なくなったとキャスターが報じていた。友人の一人が驚いて言った。

「じゃあ、誰でもチキン南蛮が作れるってこと?」

 彼の顔から血の気が引いていくのがわかった。彼の努力は、私たちの夢は、一体どうなるのだろう。

 テレビの画面から目が離せなかった。キャスターが重々しい口調で、カレーライス法案の可決を告げた。今度はカレーライスを作るのに国家資格が必要となるらしかった。

「嘘だろ……」

 彼はそう呟くと膝から崩れ落ちた。

「あなた……!」

 彼は針の飛んだレコードのように、嘘だろ、嘘だろ、と繰り返していた。友人たちはカレーが食べられなくなることに半ばパニック状態にあった。私は彼の背中をさすりながら、涙をこらえていた。台所のテーブルの上で、チキン南蛮が冷めつつあった。

著者

かなえんぬ
かなえんぬ
文章を書くのがすきです。
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コメント & トラックバック

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  1. レニ

    不思議な小説ですね。
    この小説は何かの隠喩が含まれているのでしょうか?
    いるのなら、教えて欲しいです。

    自分もこういうシュールレアリスム文学を書いてみたいのですが、
    なかなか難しくて(汗)

  2. かなえんぬ
    かなえんぬ

    コメントありがとうございます!

    この小説は、夢で見た内容をヒントに書き上げました。
    わたしもシュールレアリズムが好きで、悩みながらも書いています。
    コメントありがとうございました。

  3. Rhett Butler

    チェーホフを彷彿とさせる良作だと思いました。

  4. かなえんぬ
    かなえんぬ

    チェーホフだなんて恐れ多い・・・コメントありがとうございました。

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