【文豪】

りんご飴【2】


 突然、背中を叩かれて、ぼくは振り返る。

「ごめんね」麻衣が息をはずませて、携帯をバッグにしまいながらぼくの手元を見て不満げな声をあげた。「何よ、まだ買ってくれてないの、りんご飴」

 あわててあいまいにことばを濁しながら、屋台に近づいた。店主がぼくを見た。短く刈り上げた頭髪に切れ長の目。鼻の横に稲妻のような傷がある。ぼくは、はっとする。その傷に見覚えがあるような気がしたのだ。

「ふたつください」

店主は表情を変えないままぼそぼそ何かつぶやきながらぼくに袋を差し出した。代金と引き換えにりんご飴を受け取った瞬間、ぽっと火がともったように頭の中心が熱くなった。「ねえ、どこかに座って食べよう」麻衣の声が夢のように遠くで聞こえた。

そう、確かにあの日、ぼくはりんご飴をふたつ買った。そして、急いでひとみちゃんが待つ路地に戻ろうとしたところで、数人のクラスメイトにばったり会ったのだ。彼らは、射的をやりに行かないか、とぼくを誘った。ひとみちゃんのことが気になって迷ったが、少しだけつきあうことにした。十発だけでやめるつもりだった。けれども、何かに没頭すれば他のことは全部頭から抜けてしまうという自分の性癖を、まだ子供だったぼくは自覚していなかった。ただでさえ射的は大好きだった。その上臨時のおこづかいももらっている。十発で終わるはずがなかった。初めのうちはときおりひとみちゃんのことが頭をよぎりはしたものの、もう少しだけ、とまた意識はすぐ射的に戻り、そのうち無我夢中になって彼女のことは頭から消えてしまった。ぼくが、それきりひとみちゃんのことを忘れたままだったとしたら?

 ぼくはとっさにきびすを返して歩きだしていた。

「ちょっと、どこ行くのよ!」

 麻衣の叫び声はあっというまにぼくの心をすり抜けて消えた。早足で人ごみをぬって進む。元来た道を戻るにつれ、石だたみの道が時間の帯であるかのように、ぼくはどんどん当時のぼくに戻って行った。速足が次第に駆け足になっていく。袋の中でふたつのりんご飴が揺れてぶつかり合っている。闇の中に国道の信号が赤くにじんでいる。横断歩道の手前でぼくは足を止めた。慣れない運動に胸が激しく鳴っている。なかなか変わらない信号に気持ちがあせった。早く、早くしないと。長い間待たせてごめんね、ひとみちゃん。

 信号が青に変わって横断歩道を渡り、路地に入った。白い人影のようなものがぼんやりと見えた。近づくにつれ、胸が高鳴った。工場の塀にぺったり背をつけてうつむいている小さな女の子。白いワンピースに真っ赤なサンダルが闇に浮かんでいる。ぼくに気づいた女の子が顔をあげた。よかった、本当によかった。ひとみちゃんは、ぼくが戻るのを今まで待っていてくれたのだ。

 ぼくは彼女のもとに駆けよって、袋から取り出したりんご飴を差し出した。彼女はしばらく不思議そうな顔でぼくを見ていたが、やがてほっとしたように口元をゆるめ、手をのばしてきた。ぼくは彼女にほほえみかけた。待っていてくれて、ありがとう。

「由香! あんた、そんなところにいたの!」

 突然金切り声がしたかと思うと背後から伸びてきた腕が乱暴に女の子をかき抱いた。驚いて脇によけた際にりんご飴が地面にこぼれ落ちた。振り向くと、中年女性がすごい目でぼくをにらみつけていた。

「知らない人と話したらだめでしょ」

女の子をたしなめながら、中年女性はアスファルトに転がるりんご飴を気味悪そうに一瞥し、またぼくを見たがすぐにおびえたように目をそらせ、女の子を抱えたまま、逃げるように国道の方に消えていった。

 かすかに車のクラクションが響いてきた。ぼくは夢からさめたような気持ちでそれを聞いた。りんご飴を拾おうとして身をかがめたところで、少し離れたところに小さな赤いものが転がっているのに気づいた。女の子のサンダルのようだ。抱き上げられた際に片方が脱げ落ちたらしい。近寄って拾いあげようとしたとたん、頭の中で花火のように何かがさく裂した。すべての記憶がよみがえった。

 そう、あの日、かなりの時間射的に夢中になり、そろそろ帰ろうと誰かが言いだして、「これ、お前のだろ」とりんご飴が入った袋を渡されて初めてはっとした。それまで、ぼくは、ひとみちゃんのことをすっかり忘れていたのだ。汗だくになりながら、必死に走って路地まで戻ったが、ひとみちゃんの姿はなかった。ぼくがなかなか戻ってこないので、怒って帰ってしまったのだと思った。家に届けに行こうと思ったが、ぼくは彼女の家を知らなかった。しばらくあてもなく周囲を探し回ったが、彼女はどこにもいなかった。あきらめて帰ろうとして電柱の角をまがったところで、排水溝に揺れている赤いものを見つけた。目を凝らしてみると、サンダルだった、真っ赤なサンダルが片方だけよどんだ汚水にぷかぷか浮いているのだった。恐くなって、そのまま走って家に帰った。りんご飴は途中でどこかに捨てた。このことは誰にも話さなかった。翌朝、ひとみちゃんが何くわぬ顔で登校してくれていることを祈っていたが、始業のチャイムが鳴っても教室にはひとみちゃんの姿はなかった。次の日も、その次の日も、ずっとひとみちゃんの席は空席のままだった。

 路面に転がったりんご飴を拾いあげ、拭いもせずにそのまま口に運んだ。生まれて初めて食べるりんご飴は砂が混じってざらついた味がした。食べ終わったあと、袋に残ったひとつを電柱脇の排水溝に投げ入れた。「長い間、待たせて、ごめんね」。そうつぶやいてみたものの、りんご飴はすぐに汚水に沈んで見えなくなってしまった。

 

                              (了)

 

著者

砂猫
砂猫
小説、映画、ベースギター、猫が好きです。
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コメント 2件のコメント

コメント & トラックバック

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  1. 時雨薫
    時雨薫

    リンゴ飴って不思議ですよね。
    甘すぎるので私は一つ食べ切ったことがありません。
    こういう、夢と現実が交錯する作品が大好きです。

  2. 砂猫
    砂猫

    時雨薫さん、コメントありがとうございます。実はぼくりんご飴食べたことないんです。たまたま近くの神社で売ってるのをみてできた話です。でも、きれいですよね

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