【文豪】

真白き雪のような君へ【11】

 十二年前、サンシャインは母、サンライズを戦争で失う。
 グエディン諸国連合とアカド人の間で勃発した第一次アカド戦役と呼ばれる大戦争である。
 サンライズは王妃であることを隠し、自ら光命騎士団を率いて参戦した。

 当初両軍の戦力は拮抗していたが、アカド側についた虚無のために連合軍の劣勢となる。
 結局、劣勢をくつがえすことができず連合軍は敗走する。
 戦場で深手を負ったサンライズはヨーデンへの帰途、故国を見ることなく息を引き取った。

 普通の七歳児なら部屋に閉じこもり母の思い出に浸れたのだろう。
 だがサンシャインはそれを許されなかった。
 涙の痕も乾かぬうちに彼女は、叔父のクレセントに連れられてヴァナの湖に行くことになる。

 ヨーデン王国の東端に位置する塩湖、ヴァナ。
 古代より神龍が棲むとされ、近隣住民の信仰の対象でもあった。
 雄大な山々に囲まれた湖には四つの島がある。
 そのうちの一つに、リヴナード一族が崇拝する蛇龍(じゃりゅう)神殿が建っていた。

 神殿には数人の巫女と光龍妃と呼ばれる神女が暮らしている。
 サンシャインは彼女達のはからいにより、地底湖にある神籬(ひもろぎ)で光焔の力を引き継ぐ儀式を受けた。

 光焔の力を取得するには相応の代償が必要だった。
 代償は自分が大切に思う、自らの一部でなければならない。
 
 母、サンライズは光焔の力を得るために右腕を代償とした。
 力を得たサンライズの右腕は二度と動くことはなく、グエディンの人々は陰で彼女を隻腕妃(せきわんひ)と呼んだ。

 サンシャインは歌が好きだった。
 晴れた日の午後などは、王城の庭に彼女の声が朗々と響き渡ったものだ。
 時折、両親とブレスドレインはそろって庭に出て、サンシャインの歌に耳を傾けた。
 彼女の心に強く残る家族団らんの記憶である。

 それゆえ、光焔の力はサンシャインに声を差し出すことを望んだ。

 引継ぎの儀式を終えると同時に、疲れきったサンシャインはその場に倒れる。
 しばらくして気がつくとベッドの上だった。
 眠りなおすことができず、表を散策することにする。
 
 神殿を出て天を仰ぐと星が降るような夜空が頭上に広がっていた。
 星座の位置から見て真夜中のはずだ。

 時は盛夏。
   
 目前に広がる夜の湖は黒い平原に変わっていた。
 滑らかな水面は鏡のように天空の星々を写している。
 きらめく星達は湖面に彫刻された繊細な黒金象嵌(ぞうがん)だった。
  
 サンダルを放り出し、波打ち際を歩く。
 湖岸は小石が多くて歩きにくいが、地面がひんやりとして気持ちが良い。
 静まり返った闇から、柔らかく波立った湖水が、とろりとした音を奏でている。

 歌を口ずさもうとして、はっとする。
 声を奪われたことを思い出したのだ。

 頭が真っ白になり、恐怖が心をかき乱す。
 身体が震え、その場に膝を突いた。
 涙があふれ、呼吸が苦しくなる。

 両腕で自分を抱きしめ、泣きわめいた。
 しかし悲痛な泣き声は、今となっては、静寂にわずかな波紋を立てることさえできなかった。

 ひとしきり泣いてしまうと疲れと共に身体と心が平静を取り戻した。
 涙を拭うことなく水際に寝転がる。
 そのまま星座がゆっくりと動いていくのを、ただ眺めていた。

 いつしか暖かく柔らかい風が吹き、優しく頬を撫でていく。
 風の愛撫は、逝ってしまった母の温かな手を思い出させた。
 それは痛んだ心をほんの少しなぐさめてくれた。

 横を向くと手招くように波がさざめいている。

 目を閉じて大きく深呼吸する。
 身の内にこもった澱(おり)を呼吸と一緒に吐き尽した。
 立ち上がりざま、儀式用の白い祭服を脱ぎ捨てる。

 現れる艶やかな淡褐色の裸身。

 乳房の膨らんでいない少年然とした肢体。
 山際に落ちた弱い月明かりが、風にそよぐ金色の頭髪を、ぼうっと輝かせる。
 伝説に語られる中性的で蟲惑的(こわくてき)な水の妖精がそこにいた。

 無頓着に水に入り、温んだ湖面に身体を浮かべた。
 塩湖の水は、ねっとりとしていて、温めた香油の中に身を浸すようだ。
 全身に水が絡み付き、官能的な感覚が湧き上がる。

 心地よさに我を忘れ、夜空を見つめる。
 よくよく見れば、星々の色はどれ一つ同じでなく、朱、青、銀の光を下界に投げかける。

 微かな波音以外、何も聞こえない。
 静けさが脳髄にまで染み込んでくる。

 このまま死んでしまってもいい、そんな気持ちになった。

 澄み切ったしじまの中、呼ぶ声が遠くから聞こえた。
 我に返ると、それはすぐ近くからだとわかった。
 
 波打ち際に見知らぬ人影が立っている。
 いぶかしく思いながら岸辺まで泳いだ。

 ほのかな月影に照らされた赤い髪の女性は、水から上がったサンシャインの前に恭しくひざまずいた。
   
 彼女はサンシャインを見上げる。
 神殿の白い祭服を着ているが巫女ではない。
 無機質だが整った容貌。
 冷淡な印象があり、近づきがたい雰囲気をまとっていた。
 
 祭服には袖が無いので腕が露出している。
 垣間見える腕は細いけれど、筋肉は引き締まり、男性と比べても見劣りしない。
 まるで黒の海を荒らしまわる女海賊アムゾオンのようだ。

 天球を彩る星々下、一糸まとわぬ水の妖精の前にひざまずく屈強な女海賊。
 語り部が竪琴をかき鳴らし歌い上げる物語が、現実になったかと錯覚させる幻想的な光景だった。

「初めまして、主様。私はリダラと申します」

 挨拶しながらリダラは、ぎこちなく微笑んだ。
 頬が少し引きつっている。
 足の裏をくすぐられるのに必死で耐えている、そんな笑顔だった。

 サンシャインは思わず吹き出した。
 リダラは訳がわからずに、目を白黒させる。
 その顔がまた笑いを誘う。

 わだかまっていた辛い気持ちが、サンシャインの心から霧散していった。

  
 ――二度と戻らない優しい時間。


《あのときのあなたの顔ったら》

 サンシャインは、柔らかに目を細める。

「初めて笑ったのです。仕方ありません」

 リダラは決まり悪そうに、そっぽを向いた。
 
《もう十二年になるのね。あなたは全然変わらないけど》

 リダラはあの日のまま、二十代前半の容姿を保っていた。

「主様はお美しくなられた。まぁ私にはわかっていましたが」
 
 自慢げに胸を張るリダラ。
 時々、リダラはひどく子供っぽくなる。
 サンシャインはそこが大好きだった。
 
 噴水から溢れる清らかな水。
 サンシャインは右掌でそれをすくい上げ、掌を傾けて落とす。

《スノウの婚約の件だけど、どうしたらいいかしら》

「そうですね……」

 リダラが答えようとしたとき、城の上方から強大な虚無の力が発現するのを感じた。
 

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