【文豪】

徒桜


 桜の花は、春になると何物にも劣らぬ壮麗な姿を現し、見るもの全てを魅了して止まぬ。嘗て多くの詩人がその桜の花を愛で、様々な詩を顕した。そして現代でも桜の妖麗さは劣る事を知らず、毎年桜が咲く季節になると、多くの人々がその桜を愛でる為に花見を行う。
 しかし、万物の霊長を甘美に魅了する桜も完璧とは言い難く、その開花から散華までの間は非常に短い。今私が見上げているこの蕾の桜も、咲いては魅せ散っては憂えさせ、また長い月日を誰にも見向きされずに過ごし、それでも尚再びその春に彩りを添え、我々を魅了する。その姿が、その生き様が、私は期間限定の恋人の様にも思える。
 ふと目線を桜の梢から下げ、徐に横を見ると、車椅子に座った一人の少女が私と同じ様に、桜の未だ咲きもしていない淋しい梢の小さな蕾達を見上げていた。私の視線に気が付いたのか、彼女はこちらをちらりと見て、優しく微笑んだ。
 そうだ、何が桜は期間限定の恋人だ。私の傍らには、笑顔を投げ掛けて来る女性が居るでは無いか。
「そんなに嬉しそうに、何を見ているんだい?」
 彼女は膝掛に隠した小さな手を顕わにし、桜の蕾を指差す。
「桜の花を見ていたんです」
 そう純粋に笑う彼女をからかう様に、私は肩を竦めて笑う。
「桜と云っても、未だ咲いていない淋しい画だよ」
 それでも彼女の笑顔は止まず、今度は頭上の蕾を指差して云う。
「そんな、淋しいだなんて。この蕾を見て下さい。昨日よりも蕾が膨らんで大きくなっています」
 云われて見ても、他の蕾達と大してというよりも、全く変わりは無い。彼女は、その様な些細な変化を見止める程に、毎日この桜の蕾を見ている。それは彼女にとって、外で見られる景色がこれだけだと言う事を意味していた。
「でも、未だ未だ咲きはしないよ」
「何時になるでしょうか。早く見たいものです」
 私はその問い掛けに、答えられる程の責任は持てなかった。桜が咲くそれまでに、彼女が息災だという保障は無いからだ。先程桜は恋人と云ったが、彼女こそ何時散るかも知れない淡い桜の様であった。

 次の日、再び彼女の元へ訪れ、共に桜の咲いていない寂寥たる病棟の庭に赴いた。冬を越えた暖かい春風が、彼女の長い長い黒髪を持ち上げる。冬では一時、その寒さの為に体調を悪くした彼女だったが、無事迎えた初春の穏やかさに、近頃は体調も良くこうして外へと出ている。日に当たった方が健康に良いと言う看護師の言伝でもあったが、彼女自身楽しみにしており、又その喜ぶ元気な姿を見る私自身の楽しみにもなっていた。
 春の陽気に浮かれているかの様に、彼女の髪が春空に舞い踊る。それを煙たがる様に片手で押さえ、収束した髪を耳に掛ける横顔が、春の陽射しに照らされ美しいと私は思った。彼女の長い黒髪は闘病生活の間、一度も切る事が無かったが故だ。病魔に依って伸ばさざるを得なかった事が、逆に彼女の魅力を引き立てる事に成るとは、何と皮肉なものだろうと私は顔を曇らせた。
「どうしたんですか?そんな暗い顔をして」
 彼女は私の憂え顔に気が付き、怪訝な表情を見せた。
「いや、何でもない。ちょっと寝不足なだけだ」
 これは決して嘘なのではなく、彼女の行く末を按じた為に眠れない夜半を過ごしたからである。とは言え今迄そんなもので体調を崩した事は無い。彼女が為に、という理由をどうしても付けたくなかったからだ。
「それなら無理をせず、休まれた方が良いのではないでしょうか」
 そんな私を純粋に案ずる彼女に、偽りの答えを出すと言う事を少し躊躇った。私は車椅子を押す手を止めて、彼女の前へと回り込む。
「そうだな。今日は暖かいし、ベンチで昼寝でもしようか?」
 そして彼女の再び垂れかかった髪を左手で掻き撫で整える。彼女は頷いて微笑んだ。
 ふとその横を、白い蝶がふわりふわりと飛ぶ姿が見えた。彼女もそれに気が付き、歓声を上げてそちらに見向く。未だ鮮やかな色の無い庭に、桜より一刻早く彩りが添えられた。それも、宙を舞う小さくて可愛い踊り子だ。
「見て下さい。蝶です」
 彼女もすっかり蝶に興味津々で、その舞いへと手を伸ばす。しかし車椅子の上からの彼女に与えられた行動範囲は狭く、伸ばした手の先で変わらず蝶が悠々と舞い続けていた。それが舞い散る桜の花弁の様に見えた。そして又、届かない春の季節に手を伸ばす彼女の心境のようにも思えた。
 頭上を見上げる。桜の蕾は、未だ開かない。

著者

mallow
mallow
未熟者ですが、読んで頂ければ幸いです。
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コメント & トラックバック

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  1. Rhett Butler

    「散華」の意味が間違って使われていると思います。これは審査制なのに気づかなかった運営側の責任もあるかと思います。
    あと、質問ですが、mallowさんは女性ですか?
    文章に女性らしさを感じまして。間違えていたらすみません。

    • mallow
      mallow

      物書きとして初めて書いたものだったのですが、私が意味を間違えておりました。恥ずかしい限りです、申し訳ありません。
      女性か、という質問ですが、私は男性です。まだまだ未熟な一学生です。
      長くなりましたが、貴重な御指摘の方ありがとうございました。これを糧に益々精進させて頂きます。

      • Rhett Butler

        私の敬愛する太宰や、宮本輝さんも書くときは手元に辞書を置くらしいです。有名な作家さんでも、間違えることもあるんでしょうね。
        男性でしたか、すみません。しかし、女性らしいと感じさせる文章を書けるとは、羨ましくもあります。
        私も学生です。お互い頑張りましょう。
        生意気ですみません。

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