【文豪】

あの星はスピカ

「ねぇ、しーちゃん、あたしイギリス好きじゃん」

 学校帰りのマックでポテトを頬張りながら、中身のない話でいつものように、毎日の退屈とか不安とかいろいろなものから少しでも遠い自分になろうと実りようのない努力をしていたとき、それまでの話とは何の脈絡もなしに、佳那は言った。

「イギリスに、一年間、留学しようと思うんだ」

 私は当然ものすごく驚いたけれど、佳那ならきっとそのくらいのことは言うだろうとどこかで思っていたし、行動派の佳那と慎重派(?)の私という対比は、誰かに言われなくても自分自身気が付いていた。

 佳那は、その日、留学の計画について事細かに話してくれた。

「しーちゃんにだけ、先に教えるんだよ」

 佳那の頬に浮かんだ、何かおもしろいいたずらを思いついたときのような笑みが、私にそう伝えていた。

 お店の外に出た時、日はすでに暮れかけていた。駅前通り、煌々と光るネオンが目に眩しい。隣をあるく佳那の歩調は、心なしか、いつもより速いように感じた。

 大きな交差点の、石の群れに足が生えて歩き出したような不思議なモニュメントの前で、私たちはさよならをすることになっていたけれど、その日だけは、佳那が、

「つくづく思ってたけど、これって変な彫刻だよね」

だなんて、本当に、言う必要もないくらいに前々から思っていたことを、いまさら言ったものだから、おかしくて、くすくすと笑うと、佳那が、なんで笑うんだよと小突いてきて、その場で、お互いつついたりくすぐったりして、青信号をいくつも見送ってじゃれあっていた。そんなことをしているうちに日は完全に暮れてしまって、暗い夜のとばりが下りたことが、街明かりの中心にいても、疑いようがないくらいに感じられた。

「いっしょに帰ろうか」

 佳那が小さな声で言った。

 佳那の後ろ姿に、私はずっとついていった。

 今まで歩いたことのないような距離を歩いた。時々、佳那が、疲れて足が止まってしまう私に気づいて振り返るたびに、二、三言会話が生まれた。

 街はいつの間にか私の両側から姿を消して、古びた住宅街の細い道も抜けて、辺り一面に田んぼしかない開けたところへ出た。佳那が立ち止まって、私はやっと佳那に追いついた。

「佳那の家、遠いんだね。わたし疲れちゃった」

 まさか、こんなに歩くとは思ってもみなかった。

「うん」

 佳那は小さくうなずくと、また歩き出した。ただし、ゆっくりと。今度は私も遅れたりせずに、佳那の後ろを、同じようにゆっくりと歩いて行った。

「ここはさ、私のお気に入りの場所なんだ」

 佳那はひみつの話を打ち明けるように、かすかな、けれど、どこかはしゃいだところのある声で言った。

「お気に入りの場所?」

「うん」

 佳那はまた小さくうなずいて、空を見上げた。私も、つられて視線を持ち上げる。

 降るような星空というやつだ。宝石箱を逆さまにして、ずっと天の上から、山ほどの宝石を散らしたといってもまだ足りないような幾千の光の粒が、私たちの頭上に輝いていた。

 声も出なかった。ずっと見つめているうちに、星が降ってくるのではなくて、自分が空に吸い寄せられているように感じられてきた。

 ふと、体の右側にあたたかいものが当たっているのを感じた。佳那が私に寄りかかって、声を押し殺して、泣いていた。

 親友が、遠い国に行ってしまう。

 そのことが急に意識されて、寂しさとか、切なさとか、うらやましさとか、いろいろな感情が一度に胸に押し寄せてきて、収拾がつかなくなって、私も、佳那に覆いかぶさるようにして泣いてしまった。

「しーちゃん、」

 佳那が震えた声で私を呼んだ。

 

 遠い国にいる親友から手紙が届いた。向こうのホストファミリーのこと、学校のこと、友達のこと、書きたい気持ちにペンが追い付かないことが、踊っているような文字を通して伝わってくる。元気でいるらしい。添えられた写真に写った佳那には、旅立つ前の悩ましさのようなものは消えていた。

 あの晩、私たちは合言葉を決めた。どれだけ離れていても、通じ合えるように。窓を開け放つと、初夏の夜風が吹き込んできた。

 西の空、沈みゆくあの星はスピカ。

著者

時雨薫
時雨薫
中央アジアに行きたい。

コメント & トラックバック

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  1. Rhett Butler

    語彙は少なからずあるように感じました。そして、読書をしていることも。しかし、文章を書くときに自分の中で描いているイメージがあまりにも大きいためか、一文の情報量が多いと思いました。特に書き出しです。冒頭からこの文章だと、読者は置いてかれるのではないかと思います。

    • 時雨薫
      時雨薫

      ご指摘ありがとうございます。
      確かに重いですね。すごく読みにくい。
      無理にすべて言葉にしてしまうのではなくて、人物のちょっとした仕草などから読者に察してもらう書き方に改めたほうがいいような気がしました。
      精進します。

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