【文豪】

黒子


 たった一つの汚れが、どうしようもなく気になってしまう時がある。

ほんの小さな黒いシミが、いつしか大きくなって、取り返しのつかない事になる時もある。

私は、点々と白く、歯磨き粉の飛んだ鏡の前に立ち、まじまじと自分の姿をみるといつも、首に出来た黒い点、黒子に目がいってしまう。

生まれた時からあるその黒子は、27歳になった今でも首の左側に居座り続けているし、大きくなる事も小さくなる事もないまま、ずっとそこに存在している。

 

黒子なんて、誰もが体のどこかに持っている物だし、大して気にしているわけではないとわかってはいても、

私はいつも、首の黒子の事を考えてしまう。

 

幼い頃、私は母にいつも、この黒子は取れないのかと話していた。

毎夜毎夜、首の黒子が巨大化して私自身を飲み込み、身動きが取れなくなる夢を見ていた。

「お母さん。これ取って。」

「黒子は取れないのよ、誰にだってあるものなんですから。あんまり触っては駄目ですよ。」

この黒子が何者であるかも教えてくれず、触っては駄目と言われてしまうと尚恐ろしい物に見えて仕方が無かった。

鏡を見るたびに首の黒子が目に入り、私は全身に寒気を感じるほどだった。

針でつぶそうとした事もあった。けれど、細い針と細い私の指では、どれだけ黒子を強引につついても、赤い血液がとろりと流れるだけで黒子は消えてくれなかった。

それは、私に激痛を残すだけだった。

 

思春期に入ると私は、首の黒子をファンデーションで隠すようになった。

真っ白なファンデーションを首の黒子に塗りたくり、そこだけ周りの肌の色に馴染めず乱暴に浮いてしまっていたが、私にとって見えなくなる事が大事で、そこに熟れた誤摩化しや嘘はいらなかった。

鏡を見るたびに、首の黒子にのせたファンデーションが落ちていないか確認し、少しでも黒い点が見えていたら、すぐに上からファンデーションを塗っていた。

「どうして首の左側を真っ白に塗るの?」

「ここに黒子があるからよ。」

「どうして黒子があるからってそんなに白く塗るの?」

「ここに黒子があるのが嫌なの。」

「変なの。黒子なんて誰にでもあるじゃないか。」

「あなたにはないわ。首の左側に黒子なんて。」

私は、初めて出来たボーイフレンドの不思議そうな顔を少し睨む。あなたにはわからないわ。私がこの首の黒子をみると、どんな気持ちになるかなんて。この黒子は私の汚点なの。完璧なはずの肉体にできた、神様のちょっとした間違いなの。いや、悪魔の仕業なのかもしれない。はたまた、生まれてきた事を呪う妖怪の仕業なのかもしれない。

何のせいなのかはよく分からないけれど、私は首の黒子を見るた度に『自分の不完全さ』と向き合わねばならない。

たった一つの汚れが、素敵な白いシャツを台無しにしてしまうように。

たった一つの間違いが、その後に続く幸せを全て壊してしまうように。

たった一つの嘘が、後悔としてつきまとうように。

たった一つの黒子が、私の人生を狂わせたように。

 

私は、首の黒子をまじまじと眺める。この黒子には、私の人生が詰まっている。黒々と、奥深くまで肌に張り付いたそれは、私を捉えて離さない。どんなに白く塗ろうとも、目をそらそうとも、黒子は首にとどまり続け、私は毎夜黒子の夢を見る。

きっと、私が死んで、業火で燃やされて骨になったとしても、この黒子はその黒い体を白い骨の横に転がらせて、あの世の扉を開くまで付いてくるのだろう。その扉をノックした時に、黒子は役目を終えて、私の元から去っていく。

 

たった一つの黒子が私の人生を狂わせる。

 

私は黒子を呪う。呪えば呪うほど、黒子は黒さを増して、表面的には大きくならなくとも、私の肌の奥深くまで根を伸ばし、やがてそれは心臓に達し、流れる血液に混じり、私の体を循環する。

細い血管を縦横無尽に徘徊し、薄い皮膚の下に留まり、新たな黒子を作る。

 

そうしていつしか、首から全身に駆け抜けた黒子の闇が私を飲み込み、たった一つの汚点が、取り返しのつかない過ちになる。私は、目を閉じる。蝕まれていく私の体を、皆、嘲笑と蔑みと哀れみの目で見つめてくるのだろう。

その中に、母の顔もあるだろう。ボーイフレンドの顔もあるだろう。私がこれまですれ違った多くの他人達の顔だって並んでいる。

 

たった一つの汚点が、未来を蝕んでいく。

首から征服が始まり、私は消滅する。

 

私は、そこで目覚める。

 

取り替えしの付かなくなった、体を引きずって。

私は今日も、黒子を眺める。

著者

mayuu
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