【文豪】

真白き雪のような君へ【9】

 イスタップ城にある三つの尖塔。
 石造りの円柱の上に青い円錐の屋根が葺かれている。
 それらは屋上を取り囲むように建っていた。
 
 左右の二つは同じ高さだが、中央の尖塔は一際高い。
 それは背後から月光を受け、剣のような影を屋上に投げかけていた。
 剣の切っ先はスノウホワイトの足元にまで伸びている。

 ナンビィングの気配は確かに、その影の中にあった。 
 だが目を凝らしても姿は見えない。

「魔物のたぐいか……?」
 
「確かに。似て非なる者ではある」
 
 ナンビィングの答えには自嘲の響きがあった。

「私に何用です!」
 
「姫よ。しばし、語らわんか」

「語る?」

「姫も気づいたであろう。この世の歪みを、救い難き醜さを」

 スノウホワイトは胸を突かれ、黒々と伸びる影を見つめた。

「世界を汚すもの、それは生命である。欲望のために他者を喰らい、糞尿を垂れ流し、矮小な己を誇示する愚かな存在。人間はその最たる者である」

 影からもれる声は冷たく、静かだった。

「汝を死に追い立てるのも、まさに生命が営み。それで良いのか、姫よ」

 スノウホワイトは我知らず、この不気味な存在の言葉に引きこまれていく。

「よく……、わからないわ……」

「ブレスドレインを恋しくはないか」

 ナンビィングの言葉は平静を取り戻しつつあった彼女の心を揺さぶった。

「――それは」

「だが、最早無意味か。獣に犯され、その子を宿す汝には」

「嘘よ……」

 スノウホワイトは息を呑む。

「我は人にあらず。ゆえに見える。その胎に息づく生命の脈動が。汝の血を吸い、醜い姿をなしつつあるものの影が」

 その途端、スノウホワイトの下腹部が強く脈打つ。
 悲鳴を上げた彼女は頭を抱え、震えながらしゃがみこんだ。

「い、嫌よ。あ、あんな豚みたいな男の……、汚らわしい子供……」

 心底から湧き上がる絶望感が再び狂気の剣を振るい始める。
 頭の中に人々の嘲笑が渦巻き、鈴なりの目玉が視界を覆う。
 
 彼女の両目から途切れなく涙が流れ出る。

「――いらない」

 両拳を振り上げたスノウホワイトは、自分の下腹部を強かに叩きはじめた。

「いらない、いらない、いらない、いらない……」

 歯をむき出し、血走った眼で、露な下腹部を叩き続ける血まみれの王女。
 その光景は、ひどく捻じ曲がっていて、忍びないほど哀れだった。

「いつの世も変わらん……、命とは醜きものよ……」

 ナンビィングの声にわずかながら同情の響きがあった。

「時に、姫よ。我は汝の懊悩の一切を取り去る術を知る」

 スノウホワイトは拳を振り上げたまま動きを止めた。

「――ほんと……?」

「いかにも」

「どうすれば……いいの」

「我と約すのだ」

「――約す?」

「我は汝の懊悩を取り去る。代わりに汝は対価を差し出すのだ」

「何が欲しいの」

「望むものは二つ。一つには汝の命」

「命って、やっぱり死ぬの?」

「否、汝は生きながら虚無となる」

「虚無?」

「虚無とは永遠を母とし、不滅を父とする。冷たく、静かで、至純。猥雑な生命とは対極の存在である」

「もう一つは?」

「胎の子の命。それは未だ人として不完全である。ゆえに我が身体をもらいうける。さすればその子は、虚無の王として生まれ変わる。汝は手を汚すことなく獣の子を始末でき、さらには偉大なる王の母として崇められることになる」

 スノウホワイトは自分の下腹部をじっと見つめた。
 
「返答はいかに、姫よ」

「私が虚無になったら……、兄様はどう思うかしら」

「姫よ、虚無となった汝の力は強大なものとなろう。この世で叶わぬ願いが無いほどにな。汝が望めばブレスドレインと永遠に添い遂げることもできよう」 

「――兄様と、一緒になれるの?」

 美しい碧色の瞳が再び輝き始める。
 だが、それは狂気の色を帯びていた。
 
「いかにも」

「汚れてしまった私でも?」

「汝は虚無に生まれ変わるのだ。命あるときの穢(けが)れなど一笑に付されるだろう」

 しばらく呆然としていたスノウホワイトは口元をゆがめ、くすくすと笑う。
 幼児が悪戯したときのような笑顔。
 その精神は風化した岩のように元の形を失っていた。

「嬉しい! 兄様と結婚できるのね! お化粧して、綺麗なドレスを着て、兄様と神殿で夫婦の誓いをするの。皆、羨ましそうに見とれるのよ。そして舞踏会で踊るの」

 スノウホワイトは徐に立ち上がると肩幅ほどしかない胸壁の上で踊り始めた。
 常人なら落下を恐れて動くこともままならない場所で、彼女は軽やかに舞う。
 青い月明かりの下、心を失った白い裸身が飛び跳ねる。

「なんて素敵なのかしら」

「ならば姫よ、再び問おう。我と約すか?」

「ええ、ええ、約しますとも。喜んで虚無にならせていただくわ」

 けたけたと笑うスノウホワイト。
 耳障りな笑い声は、彼女が人間という枠から外れ始めた証だった。





 スノウホワイトがナンビィングと出会う少し前。
 イスタップ城の一階にある王の居室。

 外の廊下にはイースの国政を担う大臣達が立ち並び、不安げな表情で居室の扉を見つめている。
 今、扉の向こうでは命がけの戦いが行われているからだ。

「主様、王の具合はいかがです」

 リダラが背後から問いかける。

 スノウホワイトが晩餐会を飛び出していった後、ブルーヘイルは上機嫌となり、普段より多く飲食を口にした。
 しかし娘を顧みない報いだろうか、王は突然口から泡を吐き、昏倒する。
 テーブルに突っ伏したその体は氷のように冷たく、瀕死の状態だった。

 居室に運ばれた王のもとに宮廷医が呼ばれ、直ちに治療が始まった。
 暖炉に火を入れ、投薬をし、薬香焚き、香油を塗ってマッサージを行う。
 だが、どれも冷え切った王の体温を上げることはできなかった。

 宮廷医達はプライドを捨て最後の手段を実行する。
 それは王妃サンシャインに全てを委ねるということだ。

 やって来たたサンシャインは、リダラだけを残し、宮廷医や近習達を全て部屋から追い出した。 

 繊細な黄金細工や象嵌された宝石で装飾された数多の調度品。
 壁に並ぶ歴代王の勇壮な肖像画やイースの明媚な風景画。
 部屋の中央にある天蓋つきのベッドには高価なベルベットカーテンが下がる。
 まさに王者に相応しい居所である。

 しかし、豪華な部屋とは対照的に、当の王者はベッドの上で醜態をさらしていた。
 白目をむき、口から涎を垂らすブルーヘイル。
 王は引きつるように呼吸をし、時折、身体をけいれんさせている。

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