【文豪】

泣きぼくろ 二章1


 

 教室は昨日の話題で持ちきりだった。
 私が姿を見せると、数人のクラスメイトが寄ってきて、ジュンの容態について知っているることはないかと尋ねた。
 曖昧に首を振ると、彼女たちは口々に励ますような言葉を掛けてくれた。
「ジュンのことだから大丈夫だよ」
「今日はみんなでお見舞いにいこうよ」
 予鈴が鳴るまで、皆で不安を打ち消すように、楽観的な言葉を言い合った。

 その日のホームルームに岡野先生は姿を見せなかった。
 いつもなら先生が来ないのを幸いにおしゃべりに花が咲く教室も、今日は声を顰めるささやきしか聞こえなかった。誰もが落ち着きをなくしていた。
 皆が動揺してるのを見て、クラス委員が職員室へ向かおうとしたとき、岡野先生が教室に入ってきた。
 落ちくぼんだ目と無精髭、かたちの崩れたネクタイ。いつもきちんと身だしなみを整えている先生ではなかった。ボロぞうきんのような先生の姿をみて、私は何が起こったのか理解した。
「今朝、西沢さんが亡くなりました」
 教室は嗚咽とすすり泣きに包まれていった。 
 鼻をすすり上げ、声をあげて泣く人、信じられないと何度も繰り返す人、嘘だよねと誰彼構わず聞いてまわる人。
 私はそれをただぼんやりと眺めていた。
 私はあんな風に泣くことも、取り乱すこともできなかった。クラスメイトたちの無邪気な悲しみと、私のそれはどう違うのだろう。
 彼女たちは、いつも笑顔を絶やさなかったあの愛らしい友人の死を心の底から悼んでいるのだ。
 でもなぜなんだろう。私は一筋の涙も流すことはできなかった。

 その日、私は普通に最後まで授業に出て、父の運転する車でお通夜に出かけた。
 親友を失った私を気遣ってくれる言葉に礼を言い、おばさんにもきちんとお悔やみの言葉を掛けた。
 部屋に帰ると、役目を終えた機械のように部屋の片隅にうずくまり、じっと時計を見つめていた。

 眠れなかったし、眠ろうとも思わなかった。何かを考えなければならないのだが、何を考えて良いのかわからなかった。まとまりのない言葉やイメージが私の頭の中を行ったり来たりする。どれもこれも輪郭がぼやけ、薄い膜に覆われているようだった。

 告別式は学校の近くのお寺で行われた。
 土曜日ということもあって、クラスメイトだけでなく多くの生徒が参列した。冬にしては暖かい朝だった。
 私は制服と喪服の群れに紛れて葬儀場に続く道を歩いていた。この中のどこかに若宮さんもいるのだろうか。周囲を見回してみたが、見つけることはできなかった。

 葬儀は淡々と進んだ。私はその様子を違和感を持って見つめていた。いったいジュンの何に別れを告げる式なんだろうと。そして、棺の中のジュンに花を捧げたとき、こんなところにジュンはもう居ないのだと確信した。
 いよいよ出棺となった時、おばさんが私のもとにやってきた。
「もし良かったら火葬場まで一緒に見送ってあげて。あの子もそうして欲しいと思うの」
 私は一瞬迷った。早くひとりになりたかった。それでも彼女を傷つけることなどできるはずがない。

 何台かのタクシーにジュンの両親、親戚が分乗した。私はおばさんと一緒にタクシーに乗った。火葬場は市の外れの山の中にあった。ジュンの乗る霊柩車を先頭に黒いタクシーたちがその後を続いた。
 おばさんは、あの日私と若宮さんが帰った後の出来事を話してくれた。
 朝方、容態が急に悪化したのだという。
「一度くらい目を覚ましのたですか?」
 おばさんはかぶりを振った。
「結局、私が最後に聞いたのは、あの子の行ってきますだった」
 私の場合は何だったのだろう。思い出すことはできなかった。いずれにせよそれはもう遠い昔のことのように感じられた。いつか私はジュンの声すら忘れてしまうのだろうか。

 遺体を焼き終わるまで時間がかかるのだと言われた。それまでの間、何をするのでもなくただ時間を潰すのだ。それがジュンとの最後のお別れになるのだろうか。

「少し歩いてきていいですか?」
「喫茶店でお茶を飲んでるから、後でいらっしゃい」
 おばさんはそう言いながら、ジュンがいつもしてくれたようにマフラーを巻き直してくれた。
 私は遺族たちの輪から離れて外にでた。
 道路を渡った向こうには灰色の芝生が広がっていた。どうやらこの芝生は枯れない種類ではないらしい。
 私は芝生の真ん中あたりで火葬場の茶色い建物を振り返った。
 緑色の屋根から煙突が五本出ていた。薄い煙、黒い煙、赤みがかった煙。真っ白な煙。
 そして灰色の煙。あの煙はどこに行くんだろう。冬の乾いた空に拡散し、やがて跡形もなく消えていくのだろうか。いつか感じたことのある不安だった。

 電車の窓から眺める夜の街

 一人きりの公園の砂場、ジャングルジムの向こうに見える夕陽。

 雨の日のアパートの階段。

 目まぐるしく切り替わる映像のどれかがヒットした。

「保育園に迎えに行く途中だったそうよ」
「相手の運転手は結婚式の帰りでお酒がはいっていたらしい」 
「こんな小さい子を残して、美保さんも心残りだろうね」

 大人たちが囁くなか、私は葬儀場の外に出た。アスファルトの駐車場と、柵で囲まれた芝生、どんよりと曇った低い空の下には誰もいなかった。ロープを張っただけの柵を越えると芝生の中に入り、よろよろと歩きはじめた。

 そちらに行けば母が待っている気がした。姿が見えたわけでも、声がしたわけでもない。犬が飼い主の残り香をたどるように、私は一歩づつ歩みを進めた。
「行ってはだめ!」
 誰かが私の手首をつかんだ。
「もうお母さんは死んだのよ。だからそっちに行ってはだめなの」
 私と同じくらいの背丈の少女が立っていた。
 赤いダッフルコートを着て、髪をお下げに結っている。見たことのない子だった。
「離して、ママのところに行くの」
 私はその手を振りほどこうとしたが、彼女はますます握った手に力を込めた。
「お母さんにはまた逢えるわ。人はね、死んでも生まれ変わるの。だからきっと逢える」
「ほんとに?」
「ほんとうだよ。さみしかったら、その時が来るまで私がそばに居てあげる。だからもうかなしいことは全部忘れたらいい」
 泣きぼくろのある目を細めると、両手をそっと包み込んでくれた。

 私は煙突からあがる煙に向けて、両手を差し出した。手を伸ばせばあの日みたいに、ジュンが私の手をつかんでくれる。私は何かに引きずり込まれるように、身体を伸び上がらせた。
 突然、誰かの腕が私を後ろから抱き留めた。
「離して、あそこに行けばジュンにもママにも逢えるの」
 私は懸命にもがいた。
「絶対に行かせない」
 その声はさらに腕に力を込め、私を引き寄せた。その拍子に、ふたりとも芝生の上に倒れ込んでしまった。

 

 

 

 

 


【この作品の最初の評価者になりませんか?】

5段階で評価をお願いします!一番左が「1」、一番右が「5」となっています。
※一度評価をしますと取り消しができませんのでご注意ください。


次回に期待・・・もう少し普通良い文章最高! (まだ投票されていません)
Loading...
コメント 0件

コメントはこちら

Return Top