【文豪】

泣きぼくろ 一章3


 集中治療室は、西棟のナースステーションの隣にあった。
「西沢さんのご家族の方?」
 看護師さんが受付のカウンター越しに聞いてきた。
「友人です」
 若宮さんが答えると、今日は面会はできないけど、家族の控え室があちらにあると教えてくれた。
「ジュンは大丈夫なんでしょうか?」
 私が聞くと、看護師さんは一度手元に目を落とした。
「安心できる状態ではないけど、今は少し落ち着いているわ」
 彼女は『落ち着いているわ』と言うところで顔を上げて、少し微笑んだ。

 廊下の中程まで行くと、コの字型に開いたスペースがあり、そこにはジュンの両親、そして教頭先生と担任の岡野先生の姿がみえた。
 岡野先生は私たちの姿を認めると、何か言いかけたが、ジュンのお母さんが立ち上がったのをみて、口をつぐんだ。
 学校帰りの寄り道は校則で禁止されている。どうしても必要がある場合は担任への届け出が必要だ。岡野先生は立場上、注意しようとしたのだろう。
「レイちゃん、よく来てくれたわね。ジュンも心強いと思うわ。向こうに自販機があるの。暖かいものが飲みたいから、付き合って」
 おばさんは私たち二人の腕を後ろから掴むと歩き出した。大人達に囲まれていては、居心地が悪いだろうというおばさんらしい配慮だった。
 
 廊下の突き当たりに自販機のコーナーがあり、レモンティーを三つ買うとおばさんは一つずつ私たちに手渡した。
「レイちゃんのお友達?」
 おばさんは若宮さんを見て尋ねた。どう答えて良いのか迷った。同じ学年に所属すること以外、私たちには接点はない。けして友達と言える関係ではなかった。
「はい。それにジュンさんとも同じ図書委員です」
 私の戸惑いに気づいたのか、若宮さんが引き取って答えてくれた。
「そういえば、ジュンが言ってたわ。図書委員会に背の高い綺麗な子がいるって。あなたのことだったのね」
 若宮さんは少し顔を赤らめた。
 勝手に作った校内美少女ランキングなるものを眺めながら悦にいってた彼女のことを思い出した。
 私の名前がないことを詰ると、「レイをランキングに入れるのは身びいきになるでしょ。このリストは公正中立な観点から選んだの。私の好みを反映させたものじゃないんだから」と、結構まじめな顔をして反論するものだから、思わず大笑いした。
しかしそのランキングになぜ若宮さんの名前がなかったのだろう。そのときはたいして気にも止めなかったが、今から考えると少し奇妙だ。単純に忘れていたのかもしれないが、私のような微妙な美少女と違い、若宮さんは折り紙付きの美少女だ。公正中立なランキングなら真っ先に名前が挙がって良さそうなものだ。
 そういえばジュンの口から若宮さんの名前を聞いたことはなかった。同じ図書委員というのも今初めて知った事実だ。
 単なる偶然かもしれない。しかしなぜか心に引っかかる。
 ジュンは私の前で若宮さんの話題を出したくなかったのだろうか。。
 私がそんなことを考えている間も、おばさんは若宮さんが陸上をやっていることを聞き出し、「今はこんなに太ってしまったけれど、学生時代には短距離の選手だったのよ」と笑いながら話していた。おばさんは努めて陽気に振る舞っている。私にはそれが逆に痛々しくみえた。
「ジュンに会えますか?」
 私は尋ねた。
「ちょっと待っていてね」
 レモンティーのボトルを私に預けると、おばさんはナースステーションのほうに歩いて行った。
「素敵な人ね」
 後ろ姿を見送りながら、若宮さんが言った。
「西沢さんと同じで、人の心を和ませてくれるオーラみたいなものがあるわ」
「ジュンと話したことあるの?」
「図書委員会のミーティングで少し話したことがあるだけかな。本の貸し出しの当番は違う学年同士で組むから、西沢さんとゆっくり話す機会は一度もなかったわ」
「ジュンが図書委員なのは知ってたけど、若宮さんもそうだったんだね」
「部活をやっていたら、普通、委員会には入らないんだけど、私、本が好きだから……陸上やってなかったら、文芸部に入ってたと思う」
「文芸部?」
「やっぱりおかしいかな」
 若宮さんは小さく笑った。
「私、若宮さんが本を読んでいる横顔、すごく綺麗だと思ったよ。さっきバスの中で読んでいたでしょ」
「ああ、これ?」と言って、コートのポケットから本を取り出した。ミヒャエル・エンデのモモ、私も読んだことのある小説だ。
「実はこの小説を読むのは四回目なの」
「すごいね。でも結末を知ってるのに、なぜそんなに何度も読めるの?」
「何度読んでも結末は変わらない。でも私はこんな風に考えるの。私が新たにこの本を開く度に、物語に生命が吹き込まれるんだって。冷たくなっていた登場人物の身体が温もりを取り戻し、全身に血が巡り、生き生きと動き出す。おかしいかな?」
 若宮さんはちょっとはにかんだように、言った。
 何か言おうとしたとき、おばさんがナースステーションの入り口から顔を覗かせ、手招きした。

 ナースステーションは、一方の壁がガラス張りになっていて、そこから集中治療室の中が見えるようになっていた。
 私はガラスの前に立って、中を覗いてみた。
 色んな機械が置かれた部屋の真ん中にジュンは横たえられていた。それは何光年も先の星を目指して旅する人工冬眠中の宇宙飛行士のようだった。
 目覚める頃には、かつて彼女が暮らした星の人々はもう誰も生きては居ない。孤独であまりにも寒々しい姿だった。

「まだ意識が戻らないの。脳にある腫瘍が破裂して出血したらしくてね、検査の結果がわかり次第手術すると先生は仰っていたわ」
 おばさんは務めて冷静に話してくれた。
 私はそれを聞きながらも、あそこに横たわっているのは抜け殻で、ジュンはもうどこかに向けて旅立ったのかもしれないと思った。

 自分の中に芽生えた空虚な思いを打ち消す何かがほしかった。
「おばさん、私、今日はここに居ます。ジュンが目覚めたとき、傍に居てあげたいから」
おばさんは黙って私の頭をかき抱いた。
「ありがとう。ジュンも喜ぶわ。あの子ったらほんとにあなたのことばかりなんだから……でもね。帰りなさい」
 おばさんは泣いていた。涙の滴が顎を伝う。
「それともお友達をひとりで帰すつもり?」
 
 帰りは教頭先生が車で学校まで送ってくれた。学校に着くと、九時を回っていた。月も星も冷たい夜だった。
 若宮さんは自転車、私は歩いて別々の方向に帰る。別れ際、私が今日のお礼を言うと、若宮さんは何も言わずにかぶりを振ると、自転車に跨がった。
 私は歩き始めた。夜風が寒さをさらに強めた。

「ねえ・・・・・・知ってた?」
 若宮さんの声が背後から響いた。
「私たちずっと一緒だったんだよ」
「一緒?」
「保育園から高校までずっと一緒のところに通っていたの」
 若宮さんは白い息と共にそれだけ言うと、自転車を漕いで夜の中に消えていった。

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