【文豪】

50、43、そして35(23)


「やってるかい、お若いの」
「やってますよ。まだ開いてねえけど」
 奥の畳部屋から、清一郎が汽車の上と変わらぬ胴間声を出す。

 菊池は土間で漬物の具合を見ていた志づに手土産の干し芋を掲げてにいっと笑った。
「あいつらの好物だべ、今すぐ焼くかい?」 
 志づの返事も聞かずに菊池は包みを開くと、ストーブの上に干し芋を並べた。

 それからほどなくして無遠慮に六畳間へ乗り込んだ菊池の足元は、数字が書き散らされたわら半紙で所狭しと埋め尽くされていた。
「だから俺がそったらもんちゃっちゃとばらしてやるって」
「いいんです。嘉一さんの宿題だ。ずるしたら怒られるに決まってるべ」 
「組み合わせは全部書き出しました。順番に試してみたらいつか開きます」
「しかもこれ、逆回しの回数も何回だったべか、絹子が言ってたけどなんも思い出せねえんだよなあ」
 菊池は一向に顔を上げようとしない二人に向かって盛大なため息をもらした。
「気の遠くなる話だべ」

「今日は遊んでくれねえのかい」
「これが終わったら、いつでも」
「邪魔すんなら帰ってくれよ」
 むなしく首を横に振っては「次!」と叫ぶ清一郎と、数字の上に重々しく横線を引くユキオの連携は見事であった。

「まさか毎日これの繰り返しかい」
 聞くまでもないとは思ったが、菊池は一応たずねてみた。
「そうですけど」 
「清一郎はともかく、ユキまでなしてそったら効率悪いやり方してるんだ」
「結局これが一番早くて確実なんです」

 例の封筒がわら半紙の間から顔をのぞかせているのを菊池は目ざとく見つけていた。
「手紙見せてみろ。なんかあるんだろ」
「駄目だ。これだけは見せらんねえ」
「けちな男だべさ」
 今日ばかりは、菊池の悪態にも無反応な清一郎である。菊池は面白くねえと声に出し、生真面目に顔を突き合わせる二人を眺める。

 菊さん、と志づの弾んだ声が背後から投げかけられた。
「今日炊いたばっかりのニシンとかぼちゃ。呼ばれてって」
「おお、うまそうだ。ごちそうさん」
 ほんの少し機嫌をよくしたのか、菊池は二人から離れた所に座り小鉢を受け取った。

 ニシンをつまみながら、菊池はもごもご呟いた。
「機関士辞めて東京行くって本気かい?」
「はい」
 一瞬ではあったが、菊池の目には鉛筆を握るユキオの手が強張ったように見えた。

「おめえ一人で内地さ行ってどうなるんだべ。何かあてでもあるのかい?」
「あるわけねえべや。裸一貫で売り込む俺だ、今の俺にどんだけ価値があると思う?」
「なんもねえ。ニシン一匹にも値しねえよ」
「それでいいんだ」
 はは、と軽やかな笑い声を立てる清一郎から迷いは見られなかった。
 やっとこさふっ切れたのか、と菊池は安堵するものの、やはり清一郎の性格を思えば東京に送り出すことを手放しで喜べなかった。

「気は変わらねえのか。俺が口きいてやるから工場に来たっていいんだよ?おめえ手先だけは器用だからな」
「ありがとうございます。でもマサさんにもさんざん迷惑かけたし、けじめってもんが必要だろ。まあ、その前にじょっぴん開けてからだけどな」
 会話を進めながら、菊池はぬかりなく封筒を手繰り寄せると中をじいっと覗き込んだ。
「三人寄れば文殊の知恵って言うだろ。第三者の視点ってものもあなどれないよ?」
「だから見たら駄目って言ったべや!まったく油断も隙もねえ」
 菊池は分厚い封筒の中に、異質な紙が含まれていることに気付いた。

「樺太の写真かい?お前がユキくらいの年ん時だろう。今より子どもだなあ。中身は全然変わってねえけど」
 清一郎は聞かなかったふりをして、奪い返す隙をうかがいながら菊池の手元を覗き込んだ。その中には菊の紋章が刻まれた石碑を挟み、十五、六の幼さを残した清一郎と直立不動の青年の姿があった。
「非番の日に、嘉一さんと国境に出かけた時のだ」

 国境、とユキオは食い入るようにその写真を見つめていた。
「なした」
「鍵、偶然、てお父さんが」
「だな。それしか書いてねえもんな」
 清一郎は再び作業に戻ると右や左に回しては「次!」と声を張りあげる。

 何のために父は写真を同封したのだろう。
 菊池は清一郎に程よく焼けた干し芋を手渡しながら、おのれも無言でかじっている。
 ユキも食え、と言いかけた菊池は、それまで考え込んでいたユキオが唐突にあげた大声のせいで、干し芋をあやうく取り落としそうになった。

「何だべ」
 うろたえながらも、清一郎と菊池は期待と喜びを含んだ眼差しで少年を見つめていた。
「50だ。国境線の50度です」

「目盛りは40までじゃないかい?」
「答えは40までって決めつけたら開かないんだよ、多分」
「何のことだか、俺にはさっぱり」
 自分だけが理解していない苛立ちに、清一郎は子どものようにふてくされている。

「ユキは賢いなあ。試してみたらいいべ!」
「したら次の番号は何なんだ?」 
「43です」
 わかんねえよ、と畳の上の半紙を腹立ちまぎれに叩く清一郎であったが、ユキオは次第に冷静さを取り戻していた。
「敷香、旭川。50、43」

 10の目盛りで手を止め逆に回す。開かない。次は回数を増やし、反対に戻す。静寂の中、ユキオが左右にダイヤルを回す無機質な音だけが聞こえていた。
 僕達が歩いてきた道は、どこへ行き着くのか。清一郎や絹子や、マサナや志づ達と別れた先の終着点はどこになるのか、誰にもわからないけれど。

 お父さん、と最後にユキオはつぶやき、勢いよく鍵を引き抜いた。呪縛のようにまとわりついたままであった鍵が木箱を離れ、観念したのかユキオの手の上でその身を横たえていた。
 開いた、と全員が口々に驚きの声をあげる。
「清さん、開けてみて」
 清一郎が「お、おう」と面食らいながら箱のふたを開けると、一枚の紙切れが視界に飛び込んできた。
「金塊かい?お宝かい?」とはしゃぐ菊池の声も、清一郎の耳には届いていなかった。

 最後まで自分は一緒にいたかった。あんたがいればそれだけでよかった。
 こんなものなどいらなかった。どうしてあの時一緒に船に乗ってくれなかった。あんたがいなくて、今も苦しくて仕方がないんだ。
 己を偽り心に鍵をかけ、小さな喜びを積み重ねて生きていくことも出来たはずなのに。

 震える手で掴んだ小さな紙切れには『これはあなたに一度差し上げたものです』と書かれていた。
「ユキ、ユキ」
 嗚咽する清一郎の隣に正座すると、ユキオは懐かしい金時計を見下ろしていた。その鎖には母の指輪も繋がれていた。
 全てが、大泊で別れた時と同じ状態で再び彼らの前に戻ってきた。
 たった一つ、嘉一の存在を除いて。

「なあに」
「時計と指輪どっちがいいんだ」
「今はいいよ。清さんがいらなくなったら、もらいに行くから。清さんがどこにいても、必ず会いに行く」
 鼻をすすりながらうつむく清一郎に寄り添い、ユキオは箱の中を見つめていた。

 菊池は座り込んだ二人の頭を両手でぐしゃぐしゃとかき回し何度も瞬きを繰り返していた。
「直接くれてやればいいものを。嘉一らしいなあ、本当に、嘉一らしい」
「あの人は底意地悪いですから」

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
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