【文豪】

トロイメライの春 二 下

 私のクラスには吃音症の女の子がいました。授業を受けたり運動したりすることには何の問題もないのですが、何かを話すときに舌が上手く動かずどもってしまうのです。いくらからかわれても言い返すことのできない彼女は、いじめの標的になりました。クラス全体が結託して彼女一人を攻撃したのです。もちろん、彼女をいじめていた全員が彼女を嫌っていたり、おもちゃにして楽しんだりしていたわけではなくて、周囲に同調しなければ自分一人が疎外されるという恐怖からその行為に及んでしまった子もいたのだと思います。

 それを理解していても、私はクラスのみんなを許すことが出来ませんでした。私は一人、その吃音症の女の子に味方しました。どうか誤解しないで下さい。何も、私の正義感が人一倍強かったなどということではないのです。もともとあまり仲の良い子がいなかった私は、人より疎外されることに対する恐怖が薄かっただけなのです。言う間でもなく、私は新たないじめの標的になりました。それだけならばまだ良かったのかもしれません。私が肩を持ったその子は、すぐに私をいじめる側にまわりました。そうすることで周囲からの信頼を勝ち取ることが出来ると考えたのでしょう。大した決意もなく起こした行動だったのです。何があってもその子を守るという、立派な意志などというものは何処にもなかったのです。私は彼女を恨み、呪い、妬みました。憎悪に身を焦がしました。しかし、人は何時までも怒りに燃えることなど出来ないものです。強い炎なら尚更。白い灰になった私は、世界から目を背けました。今思えば小さなままごと遊びに過ぎない世界ですが、その頃はそれが世界の全てだったのです。学校にはいかなくなりました。家の外へ一歩踏み出すことさえ怖くなりました。九歳にして、私は人生の最も暗黒な時代を経験したのでした。

 はじめに私の心を癒したのは、やはりピアノでした。一種の現実逃避だったのかもしれません。心の中の汚い物が、ピアノの音色に代わってすっと抜けていくような心地がしたのです。

 その頃よく引いたのがベートーヴェンの悲愴第二楽章でした。心の傷を、つきることのない無限の慈しみで包み込んで、何時までも寄りそって慰め続けてくれる曲です。母の愛とでも言うのでしょうか。もっとも、母というものを知らなかった当時の私は、そんなことは考えずにただただ優しい曲だなと思って弾いていたのですが。あれからいろいろと人生経験を積んで、自分の母について知ることもありましたが、今でも母というものを完全に理解できてはいないように思います。自分が母になれば分かるのでしょうか。

 母の代わりといっては変ですが、貴方やほかの人たちが母から受けたであろう愛と同種の愛を私に注いでくれた人がいました。先生です。長い間不登校だった私ですが、先生のレッスンには欠かさず通っていました。それどころか本来は学校のある時間から教室に上り込んで、一日中ピアノと戯れているときさえありました。とんだ不良少女です。しかし、先生は迷惑そうな顔一つせず、私につきっきりでレッスンをしてくれたのでした。心の休まるところ、心の帰るところ、それが私にとっての先生でした。先生は私のそんな思いに気付いていたのでしょう。一緒にお昼を食べたり、夕陽を背に受けて、長く伸びた影を追いながら家まで私を送ってくれたり、私と先生との間にはただの師弟以上の関係が築かれていったのでした。仲の良い祖父と孫。そんな風に見えていたんじゃないかしら。

 

 さて、ペンは先に進みたがっていますがだんだん眠くなってきました。またしてもおかしな手紙になってしまってはいけませんから、この辺で筆をおくこととします。今日はここまで。お休みなさい。

貴方の親友より

著者

時雨薫
時雨薫
中央アジアに行きたい。

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