【文豪】

メリークリスマス


 足の裏が痛い。身体のあらゆるところが冷気にさらされ、まるで生きた心地もしない。自分で自分の鼓動を感じ、無理矢理暖まった気分に浸る。だが、孤独という冷たさは、いつもより身に沁みる。
 少年は毎年、こうして冬を過ごしてきた。この街に産まれてから、幾年が経っただろうか。体つきからして、十一、二歳といったところだろうか。いや、もう少し上かもしれない。とにかく痩せている。体つきから年の頃を推測するのは、この少年に於いては間違っているかもしれない。とにかく、ただ、少年としておこう。
 ここで少年は、寒さ、いや、冷たさに震えながら、街行く人々の足元をただ見つめる。いい靴を履きやがって。ピカピカ光る靴、とにかく長い靴。ありとあらゆる靴が目に入る。最後に靴というものに触れたのは、靴磨きをしていた頃であろうか。あの頃はまだ食えていた。こんなにも意地汚くなかった。母がいなくなってからだろうか、少年の心が曲がり始めたのは。少年は父を知らない、物心ついた頃には既にいなくなっていた。どこかで死んでいるのかもしれない、生きていたとしても、どうせろくなやつじゃない、父のことを聞くたびに目尻を光らす母を、幼い頃に見ているゆえだ。想像したくはないが、どうせ俺のような生活を送っているに違いない。よく同じように路傍の石のように座り込んだ中年を父だと一瞬思うときがあるのは、どこかで再会を期待している自分があるからだろうか。孤独がそうさせた。
 凍てついていたレンガにも、ほんのりと温もりが感じられてきた。風は少し通るが仕方ない、今夜はここで過ごそう。
 だめだ、向かいにパン屋があるじゃないか。香ばしい匂いがジャックナイフのように少年に突き刺さる。おかげで腹の減りが露骨になるのは当たり前のことで、少年は寝場所の移動を始めようとした。しかし、まあ、暖まってきた背中と向かい合わせのレンガにさよならを告げるのはどうも惜しいことのように思われた。仕方がない、眠ってしまえば、匂いも気にならないだろう、少年は薄く目を閉じた。
 やはり、疲れていたのだろう、すぐに眠りに落ちていった。少年は一つの夢を見た。少年が綺麗で清潔な服を着ている。少年以外にも、同じような服を着た人たちが多くの列を成している。何十、何百もの人がいる。どうも少年の着ている服は軍服のようであった。すると軍師のような者が、列の間隙を徘徊し、なにやらブツブツと切れ目のないドミノのように、呟いている。やがて、ドミノは途切れ、肩にぬめりと感触がした。その軍師が手を置いてきたのだ。すると軍師はいきなり少年の右頬をぶった。痛いとは思わなかったが、殴られることに対して抵抗が出来ていないわけで、やはり気持ちのよいものではなかった。しかし、ある程度、少年は嬉しかった。それが夢だと、その時点で気づいていたのか、いないのか、それはわからないが、ただ人に触れられた、それだけであまりにも暖かく感じられた。
 いきなり視界が暗くなったかと思うと、微かな光が漏れてきた。醒めた目からは涙が出ていた。自分は軍服など着ていなかった。代わりに、黄ばんだなにか、服と呼べるものではない、ただの体の周りにまとわりついた布に、雫が落ちた。
 街からはもう、人は消えていた。向かいにある、香りの発生源である店の灯りは、ちょうど消えたところだった。すると扉から何者かが出てくる。背の高い男だ。初めのうちは遠くてぼんやりとしていたが、こちらに近づいてくるにつれて、はっきりと見えるようになってきた。そう、男は少年の方へ近づいているのである。それも真っ直ぐに、迷うことなく、近づいてくる。
 男は黒のロングコートに黒のシルクハットという姿態で、怪しいこと限りない。何かされるのか、何でもいいから美味いものでも恵んでもらえるなら、ありがたい、もしくは、俺を上手いこと利用して金にでもしようというのか、残念、その考えならば俺は何にもなりやしない。
そうこう無駄な思案を巡らすうちに、男はすでに目の前へ迫っていた。迫力と言おうか、威圧と言おうか、誰にも何とも言わせぬものが漂っていた。
 男はここからでも、何を持っているのか、ハッキリ見えるほどまでに近づいた。パンだ、綺麗な焦げたクリーム色をした一斤のパンだ。もう少年にはそのパンの姿しか、目になかった。男はザッと靴音を鳴らし、少年の目の前に立ち止まると無言でしゃがみ込み、顔を覗き込んできた。目鼻立ちの整った綺麗な顔だ。顎や頰には、毛の一本もない。
「メリークリスマス、少年。」
 男はニッとはにかんだ。何を考えているのか、全く読み取ることができない表情だ。男はそのまま、手に持ったパンを目の前で一口かじり、少年に渡してきた。少年はいぶかしむこともなく真っ直ぐパンに顔を潜りこませ、がむしゃらに頬張った。パンは胃の中へ吸い込まれる。それと同時に胃が動くのがわかる。急な摂取に、少し痛みもしたが気にしなかった。
「ほら、そいつぁ、毒入りさ」
 どれだけ困っているときに、どれだけ甘やかされようとも、少年にはプライドというものがある。少年はグイと最後の一口を飲み込んでから、路上に唾を吐き、男を鋭く睨んだ。それでも依然として男は、微笑んでいる。
 少年が全てを飲み込んだのを確認すると、男はタンと立ち上がり、踵を返しマントを泳がせながら遠のいていく。目は虚ろになりながら、すべてを諦めたかのように少年は、嘆息をもらした。ゆっくり目を閉じると、すぐに熟睡にまで達す。心地よいまどろみの中で少年はまた、人の温もりを探していた。ただそれはもう、この世で叶うべきことではなかった。

著者

Rhett Butler
太宰好き
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コメント & トラックバック

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  1. 鬼編集長
    鬼編集長

    誤字脱字は無いようなのでとりあえず公開とした。
    そのレベル。

    • Rhett Butler

      内容はまだ重視しておりませんので、これからの執筆活動においての褒め言葉として受け取らせていただきます。

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