【文豪】

50、43、そして35(19)


 ユキオと絹子は互いをかばい合い、木箱を守るように身を小さくしていた。
「これはお父さんのものだよ。あんたのものじゃない」
「そんなところに隠していやがったか」
 三上はユキオの手から無理矢理木箱を奪おうと小さな体に襲いかかる。
 ユキオは木箱をお腹の中に抱え込み、なんとしても死守せんと身を固くする。
 絹子は三上の腕に取りすがり三上の魔手からユキオを守らんとするが、あっけなく畳の上に投げられてしまう。

 執拗にユキオを蹴り上げては病んだ笑みを浮かべる三上が、絹子は憎くてならなかった。
 手稲のみんなも、お父さんもこの男のせいで帰ってこない。嘉一さんもこの男さえいなければ、あのような最後を選ばずともすんだかもしれないのに。
 三上はふいに猫なで声でユキオに語りかけた。
「俺も自分より弱い奴に手ぇ挙げるような真似はしたくねえんだ。これ以上痛い目に合いたくなかったらこっちによこしな?」
 けれどもユキオは真っ赤になった瞳を見開き、切れた唇の端に血を滲ませながら「絶対に嫌だ」と言った。

 絹子はユキオのそばに這ってゆき、口元の血をぬぐいながら三上を睨んでいた。
「子どもになんてことするの」
「子どもだあ?俺がこいつの年の頃には、親兄弟もなくて一人だったよ。子どもどころか、人間として扱ってくれるような奴らなんていやしなかった。甘えんじゃねえよ」
 忌々しげな口調になる三上の中に、積もり積もった憎悪のようなものが垣間見えた。
 この男がどんな生き方をしてきたのか知らないし知りたくもない。
 愛情を注がれることもなく野良犬のような人生だったのだろうと容易に想像がつくが、それでも沸き起こる微々とした同情心を捨て、絹子はいま一度三上に問うた。

「あんたは何を探しているの」
「金の在り処に決まってるだろう」
 三上は苛立ちを隠さず吐き捨てるように言った。 
「そんなものはなかったって、あんただってよく知ってるんじゃ」
「敷香の金掘りはあんたのおとっつぁんと千葉が主導してたんだ。金なんて出ねえなんて大嘘つきやがって、本当はその中に地図でも隠してるんだろう。もしかしたら本物が入ってるかもしれねえ。俺達は騙されねえよ?」

 俺達とは、三上以外の誰を指すのかユキオには皆目見当もつかなかった。
 しかし絹子はすっくと立ち上がると怒りのこもった眼差しで三上を見上げる。
「欲に目がくらんで、なりふり構わず同じ日本人を平気で利用して裏切って、あんたみたいな人間が死ねばよかったのに」  
「同じじゃねえよ」

 ふいに発したその声には、三上らしからぬ物悲しさがあった。
 先ほどの憎しみにまみれた人間とは同一人物とは思えないほどの、全てを諦めた嘆きの声であった。遠い昔に、ユキオと変わらぬ年端に、歪んだ悟りを開いたのであろうか。
 たった一言ではあったが、三上の言葉は絹子を大きく揺さぶり不本意に涙腺までも刺激した。

 だが三上はあっという間に元の悪相に戻ると、ユキオの盾となって立ちはだかる絹子の首に手を伸ばした。
「俺は取り上げられたものを返してもらうだけだ。ロスケの金も俺の金なんだよ」
 ユキオは失われつつある気力を振り絞り三上に飛びかかるが、蹴り飛ばされた勢いで土間へ転がり落ちる。
 無念にも木箱がユキオの手を離れてストーブの前に落下した。
 もがき苦しむ絹子の首に手をかけたまま、三上は満足そうに木箱を眺めていた。

 ユキオは震えながら体を起こし、ストーブの前に転がった木箱を見つめていた。
 この男は悪い夢を長く見すぎたのだとしか思えなかった。
 たかが金の為に、存在しない金の為に絹子の命さえ奪おうとしている。
 けれどももしかしたら、本当に金に関する重要なものが隠されているのだとしたら。
 それならばいっそ、こんなものは三上にくれてやればいい。
 ユキオは心を殺して父に対する感傷を振り払い、木箱を手放すと決心した。

 よろめき、土間に片手をついたユキオの横を誰かが通り過ぎた。そして驚きと体中の痛みに座りこんだままのユキオの耳に鈍い音が響いた。
「その人から離れろ、このばちあたりが!」 
 その光景を、ユキオは生涯忘れることはなかった。
 頭から血を流して崩れ落ちていく三上の目の前には、ぶるぶると震えながらデレッキと呼ばれる火かき棒を握りしめた志づがいた。

***

 日が落ちた後も、官舎は物々しい雰囲気に包まれ騒然としていた。
 警察のみならず、進駐軍の姿さえある。
 清一郎は嘉一の家を遠巻きに眺める人々をかき分け、顔を腫らしたユキオを見つけた。

「絹子は」
 すかさず志づの平手打ちが飛び、無精ひげにおおわれた清一郎の頬が鋭い音を放った。
「今まで何してた!なして絹子さんと一緒に来なかった!」
「絹子は無事なのか」
 姉の剣幕に呆然とする清一郎から遅れてやってきた菊池が、今にも息絶えんばかりの呼吸を繰り返していた。
 絹子とユキオの一大事を告げる為に清一郎の元へ駆けつける役目を仰せつかったのは、還暦をとうに過ぎた菊池であった。八条はさすがに遠い、と菊池はうめきながら雪の上にへたりこむ。
「たまげたねえ。大の男をやっつけてもまだそったら元気があるのかい」

「お父さんが駅まで送りに行ったわ」
 志づは冷たく言い捨てると、心の堰が切れたのか前掛けで顔をおおい隠して肩を震わせ始めた。
 ユキオが困惑しながら志づと清一郎を交互に見比べ、「手稲に帰るって」と言いにくそうに小さな声をもらした。
 再び走り出す清一郎の背中を見送り、菊池は呼吸を整えながらユキオと志づの肩を抱き寄せた。
「姉さんに礼も言わんと、猪みてえな男だべさ」

 あっさひかーわー、あっさひかーわー、という旋律混じりの駅員の声と共に、汽車から人々の群れが降りてきた。
 最後の汽車にもかかわらず、今日もプラットフォームは人、人、人、の渦であった。

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
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