【文豪】

ベテルギウスの死ぬ日に 後篇


 夜空はいまだ、きらきらと、雄二郎に見つめられている。それが少し、憎いと思った。

「ベテルギウスがね、死んでしまうというんだ」

「ベテルギウス?」

「そう、ベテルギウス。オリオン座の右肩をご覧」

 星空が大きく回って、いまは横に寝ているオリオンを見る。下方になった右肩が、赤っぽく輝いていた。

 あれがベテルギウス。それくらいは、私も知っていた。

「で、死んじゃうって?」

「つまり、星の寿命をもうすぐ迎えるらしいんだ。いや、もしかしたらもうすでにベテルギウスは消えているかもしれないね。あの星の光はさ、つまり何億年も前の光であるわけなんだ。驚くことにこの宇宙は、僕らの速さをはるかにしのぐ光でさえ、ただの一瞬では渡れないらしい。つまり、星が実際に光を放った瞬間と、こちらでその光を受け取る瞬間とでは、大きすぎるずれが起きるわけさ。そのタイムラグは、やがて星が光を放たなくなるときでさえ、僕らに星を見せつづける。すでに終わったものとしていまだ輝くあの星を見ると、それはそれでまた、なんだかいい気持ちになれるんだ。不思議だと思わないかい。まったく、消えているなんてつゆにも思わないあれが、死んでいたりするんだよ」

 惚れ惚れ、といったかんじだ。

 雄二郎は寝そべったオリオンをいまだ眺めている。私は私で、そんな彼を眺めた。

 ベテルギウスの話は、私にとってうまくよさの感じられないものだったけれど、でも、なにかしらを得た感覚はあった。それは、確信と言い換えてもよい。

 もう時は迫っているのだと、私は今、真に実感した。

 また空を見る。いまだ赤く光るベテルギウスが、私を諭している。

 まるでいま気づいたかのように君は語っているけれど、本当は、もっとずっと前から気づいていたんでしょう。それなのに、したたかな女だね。もうすぐ終わりが来るのさ。もし君のその無駄な思い込みが、あきらめているという本心に気づかないがための鬱屈なら、ささっと捨ててしまって、君は次の新しくはじける鮮やかな想いでも手に入れてしまえばいいのではないかい。ねえ。

 はあ。吐息が白んですぐ消える。どうやら私の脳は、握られた左手を去り、いまはベテルギウスにいるらしい。私はまったくもって、意識を他にとらわれやすいのだなあとおもい、もう一度、息を白くした。

「ねえ」

 私は、ベテルギウスに言われるがまま、ほんのすこしだけ時を進ませることにした。いつかくるそれが、ほんとうに、ほんのちょっぴりだけ早まるような、そんな言葉を雄二郎に向けようと思う。

「なんだい?」

 まったく、無防備な雄二郎。まじめで真摯な雄二郎。そして、あまりにばかな雄二郎。

 うまく言えるだろうか。私は、うまく告げられるだろうか。

 すぅ。息を飲み込む。

「思ったの」

「なにを?」

 とげのない問いが、私に刺さる。

 でも、言うしかないのだ。

「私たちは、ベテルギウスによく似ているわね」

 さながら、知的な眼鏡かけの女のように、私はレトリックをつかった。

 案の定、雄二郎は沈黙にのまれる。私の言っていることが理解できないのだ。たぶん、嫌味であるということにさえ、彼は気づいていない。

 あと半年、いや一年、もしや一生。雄二郎は、この言葉の意味を知らないままかもしれない。

 けれど、それでもいいのだ。どちらにせよ、結末は同じ。

 知らないうちに私は、人生で一度もしたことがないような角度で微笑んで、雄二郎のほうへと顔を向けていた。

 瞬間、音とも呼べない、息をのむ気配が鳴る。

 雄二郎は、真っ黒な宇宙の瞳に私をうつして、なにかとらわれたような表情をした。そしてそのまま、ふわりと固まった。

「ごめんね、よくわからないこと言っちゃった」

 私はわざと、そんなしおらしい言葉をはいて、顔をいつものように笑わせた。

 すると、雄二郎をからめとっていたなにかもほどけ、彼もまたいつもどおりの様子に戻る。

「ううん、別に、仕方ないよ、こんなロマンティックな夜空だもの。そんな風に言いたくなるものさ」

 やっぱり、雄二郎は違った。

 そして、彼はまた、空に目を戻す。

 再びの星空観賞にならい、私も肯定的な目で、それらを見てみた。

 ベテルギウスがまだ赤く瞬いている。でもきっと、気の飛ぶような長い光の向こうで、いま彼は爆ぜ、消えてゆこうとしているのだ。そうしてそこから、宇宙という水に緑の乳をぶちまけたような、そんな超新星が新たに生まれ、ただよいはじめる。

 私たちは、さびしい地球の上から、ベテルギウスの光だけを追って、ここまできた。実にたくさんのことを通過しながら。出会いやキスや、ランデヴー……初めての日のこと。そんな旅の途中で私たちは、ある一つの恒星が消えたことに気づかない。いまだ光っているのだと、勘違いするから。

 そしてある日、私たちはとうとう終着点について、空からある一つの赤い点が見えなくなるのを、見届けるのだろう。

 その日はきっとたぶん、疲れ切ってしまって、すぐにおたがい、眠りについてしまうはずだ。

 やがて、強い光に起こされる。目を開ければ、もう新しい朝が来ている。それはやはり、どれほど光が目に沁みても、私たちにとって、とてもうれしい朝なのだ。

 そんな朝が、どうか私に、雄二郎に、訪れますように。

 とす、と雄二郎へ預けた身体に、彼の上着のやわらかさが伝わる。雄二郎は、ふ、と笑ったような気配を見せて、それから、そっとやさしく、私の肩を抱いた。

 夜はいまだ、暗いまま。

 私は、彼の腕の中で、おだやかに眠っていけるような気がした。

 

著者

ヒノ影アラン
ヒノ影アラン
どうにかこうにか生きています。
NO FAT,NO LIFEで道を行くデブです。
動物に逃げられるのをやめたい。
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