【文豪】

紙飛行機と五月の空 上


「―以上、次の試合のメンバーとする。今年度最初の試合だ。全員、自身の力を最大限に発揮するように」

 監督はそれだけ言い終えると淡々とグラウンドを後にした。残されたのはその発表に跳ね上がって喜ぶ者、呆然と立ちつくす者、そもそもそんな発表には興味がなかったようで早くも帰り支度を始める者。

 有り得ないことだった。自分がレギュラーから落ちるだなんて、夢にも思っていなかった。しかも今年度最初の試合でだ。

 僕のかわりにその試合のスターティングメンバーに入ったのは、入部したての、まだどんな奴なのかもよく分からない一年だった。中学校に入部する前はクラブチームで活躍していたとは聞いていたが、まさかいきなり試合に出られる程の実力だったとは。

 グラウンドの隅でその一年は、これが最後の大会になる三年の先輩たちに囲まれて、何やら楽しそうに話していた。自分が一年ながら試合に出られることを少しもすまなく思っていない高慢な態度で。

 どうして、あんな奴が試合に出られるのだろう。入部してまだ一か月も経っていないというのに、何故、これまで厳しい練習に耐えてきた僕をさしおいて試合に出られるのだろう。先輩たちの最後の大会の、そのグラウンドで先輩達と共にプレーするのは、一年間一緒に練習してきた僕だった筈だ。だというのに、何故……。

 憎い。唐突に現れて僕の居場所を奪っていったアイツが憎い。憎い。憎い。憎い。

 ふと、その一年がこちらを向いた。笑っている。僕のことをこんなにも否定しておいて、少しも悪びれずに。目を合わせたくない。気分が悪くなる。

 僕は自分の鞄をとると、少し早足で校門を出た。

 

 川は夕陽を受けて黄金色に輝いている。僕は鞄を枕にして土手に寝転ぶと、遥か大空を見上げた。色も大きさも百円玉というよりは一円玉といった方が相応しいような月が東の方角に浮かんでいる。満月には少し日が足りない。

「はぁ」

 どうしたって溜め息が出てしまう。これまでお世話になってきた先輩達に少しでも恩返しするために、今度の大会では誰よりも活躍するつもりだったのだ。それがレギュラー落ちだなんて。今までの努力は一体何だったのだろうか。段々、自分で自分が馬鹿らしくなってきた。

 視線を落とすと、河川敷でボールを蹴って遊んでいる子達が目に入った。先頭の子が蹴った緑のゴムボールを、それに続く皆で追いかけている。一人が転んだ。膝をすりむいたようで大声を上げて泣いている。年上と思われる子が声をかけた。なかなか泣き止む様子はない。

 思えば僕も初めの頃はこの子達と同じように、純粋にボールと戯れることを楽しんでいた。何時からだろう、それ以外の何かが僕の心を支配するようになったのは。

 突然、さっきの子が泣き止んだ。辺りは急に静かになる。ボール遊びの子達の視線は、土手の上に立つ一人の男性に向けられていた。年は四十、五十といったところだろうか。禿げ上がった頭と突き出た腹が中年の雰囲気を演出している。上下黒のジャージ姿は如何にもランニング中といった感じだ。そしてその手には、その容姿からは到底想像できないものが握られていた。

 紙飛行機だ。

 僕とボール遊びの子達の困惑を他所に、その男性は紙飛行機を投げた。ボール遊びの子達の歓声が上がる。紙飛行機はしばらくよろよろと飛んだ後、ポトリと地面に落ちた。男性はその紙飛行機を回収すると、翼の角度を調整して再び投げた。またしても歓声が上がる。

 馬鹿らしい。紙飛行機の何がそんなに面白いのだろう。どれほど上手く飛ばしても結局は落ちてしまう運命なのだ。紙飛行機は自分では飛べない。丁度、僕なんかと同じぐあいに。ましてや大の大人が熱中するなどもってのほかだ。

 部活の件で大分疲れていたのだろう。ふと強い眠気が僕を襲った。こんな所で寝てはいけないと思ったのだが、脳が言うことを聞かない。すやすやと僕は寝入ってしまった。

 

 あの一年が僕の目の前でニヤニヤと笑っている。何か言ってやろうと思ったのだが、頭が回らない。僕が黙っていると一年の方も何も言わずに突っ立ている。いくらか君が悪い。

 そうやって暫く言葉も交わさずに棒立ちしていると、どこからともなく先輩が現れた。ユニフォームを着ている。これから試合だろうか。大きく手を振ってこちらを呼んでいる。すぐにそちらへ向かおうと思ったのだが、足がセメントで固定されているかのように動かない。僕が悪戦苦闘している間に、一年は悠々と先輩の方へ行ってしまった。

 先輩と一年は、肩を組んで何処か遠くへと歩き始めた。僕がいくら叫んでも彼等の耳には届かない。

 一度も振り返らずに、遠くへ、遠くへ。

著者

時雨薫
時雨薫
中央アジアに行きたい。

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