【文豪】

50、43、そして35(16)

 若い駐在員に付き添われた泥だらけのたか子とユキオを出迎えた大人達は、皆一様に顔面蒼白であった。
 ひと目で上等と分かる仕立物のコートを纏った少女とそれに寄り添う少年を見つけ、繁華街の人々がつたない日本語を交わしながら街の外まで連れ出してくれたのである。
 マサさんが言っていたような恐ろしい人達ではなかった。
 なじみのない異国の言語が、魔法使いの呪文のように強張った心を安らげてくれた。
 街の外に出る頃には、二人分の心細さはすっかり消えうせていた。

「こったら遅くまで、どこさ行ってた!」
「心配したんだよ。さらわれたのかと思って、警察に届けたばかりだったんだ」
 誰かがたか子を清水屋の娘と知って誘拐したのではと、マサナはいの一番に警察に駆け込んだのである。
「大げさよ」
 たか子は反省も謝罪の言葉もなく、そっぽを向いたままである。

「たか子!」
 娘には甘い清水屋の主人も、今日という今日は我慢がならないようだった。
 厳しい顔で自分を見つめる父の視線を避けながら、たか子は隣のユキオの手を無意識に握り締めた。
 今日の出来事にたか子は芯まで疲弊し、そして混乱していた。
 逃げた女性は間違いなく絹子だった。何も答えず、否定もせず、自分達を遠ざけた。
 さほど親しくもない間柄ではあったものの、絹子の反応はたか子の心に傷らしきものを残した。
 何よりも、今日の自分は知らない街で絹子を見つけ出し、精一杯頑張ったのに。もう少しだったのに。

「清さんを探しに行ってたのよ。気にしてるくせに、心配してるくせに、どうしてみんな知らんぷりするのよ!だから私達」
 堰を切ったように、たか子の両目からぼろぼろと涙がしたたり落ちた。
「して、見つかったのか」
 しゃくり上げながら何度も首を横に振る少女を見つめ、大人達はそれぞれに落胆の吐息をもらした。

「お嬢さんにまでご迷惑をおかけしました」
 マサナは清水屋に向かって深々と頭を下げる。
「うちはいいんだよ。それにしても清さんはどこさ行っちまったんだか。気持ちはわかるけども、いつまでも落ち込んでたって仕方ねえっしょ」
「たかちゃんにまで心配かけて、清ちゃんは何してるんだか」
 志づが泣きじゃくるたか子の背を撫でると、安堵の為かたか子はますますむせび泣く。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 マサナや志づが自分の為、そして清一郎の為に頭を下げる姿がもどかしかった。
 何もかもが自分のせいだと思った。嘉一が死んだだけだったら事は事務的に進んだはずなのに、たった一人残された自分のせいで皆に迷惑をかけている。

「これ、清さんが戻ってきたら渡してください」
 ユキオはくしゃくしゃになった封筒をマサナに差し出した。
「嘉一さんから?これを清一郎君に見せたかったんだね」
 マサナは嘉一が三人に宛てて、遺書らしきものを残していたことに驚いていた。
 あの日、マサナ宛てに一通の手紙がちゃぶ台の上に残されていた。
 それには『息子は独り立ちできる年齢なので手助けせず送り出してほしい』と書かれただけである。
 目の前にある新しい手紙は、自分に宛てたものとは異なる内容なのだろうか。
 
「頭冷えた頃だ、ぼちぼち帰ってくるべ。これはユキが清一郎に直接渡せばいいべさ?」
 封筒を凝視したままのマサナに代わり、菊池がユキオの手元を押し返す。
「僕、留萌に行きます。だからもう会えないかもしれないし。僕にこの手紙は必要ありません、でも清さんと絹子さんには読んでもらいたいんです」

 ユキオの凛とした声は、志づとたか子のすすり泣きを止めるに足りる力を持っていた。
 初めて会った頃と変わらず線の細い少年ではあった。
 けれど一人で生きていくと覚悟を決めた大人の顔になった、と誇らしい気持ちと同時に喪失感らしきものがマサナの胸に去来する。
「だから清ちゃんが戻ってきたら、みんなで話し合えばいいっしょ。学校もまだ残ってるでないの」
「ユキオ君がニシン取りなんて駄目!絶対に駄目!一緒の高校行くって言ったじゃない!」
 志づとたか子の必死のとりなす声にも、ユキオは寂しげな笑みを浮かべるだけであった。

「それは、お父さんが生きてた時の話だから」
「たいした暮らしはできないけども住む所と食べる物はあるんだ、うちにいたっていいんだよ?今とは時代が違うけど、俺みたいに学校出とけばよかったって、後で後悔したり、親恨んだりしないで欲しいんだわ」
 今ならまだ間に合うのだ。マサナはユキオの本心が知りたくてたまらなかった。
 面識のない親類の家に行くより、この家にいた方がユキオの為にもいいはずなのだ。
 元は代用教員だったマサナの教育熱と、敬愛する先輩の残した子に対する情愛が入り混じり、マサナの声が珍しく熱を帯びていた。

 マサナは少年の心情をおもんばかり、やんわりと説得を試みる。
 それは心の底からマサナが望んでいることでもあった。
 マサナはこの少年の未来の為に、朝とはいわず昼でも次の日でも持論を繰り広げることなど厭わなかった。むしろ彼が理解するまで永遠に聞かせたかった。
 
 けれどユキオは、マサナの真意を知ってか知らずか、迷いのない清々しい瞳で大人達に向き直っていた。
「いえ、大丈夫です。留萌に行きます」
「やだよ」
 再び泣き出すたか子の肩を抱き、清水屋の主人もこらえきれずに何度か目をしばたたかせていた。


***


「おばさん、清一郎君の居場所を知っているんじゃないんですか」
「何、急にあらたまって」
「清水屋さんにいた女性も急に姿を消してしまった。あの二人は一緒にいるんじゃないんですか」
「そったら目で睨まないでくんない」
 おばさんの答えは極めて歯切れの悪いものだった。
 客の途切れる時間を狙って、遅い昼休みに栄町の食堂に足を運んだマサナであった。

「なして黙ってたんです」
 清一郎が消えた頃、何かと官舎を訪れていた栄のおばさんの足が遠のいた。
 不審に思ったマサナが何度も店を訪ねるが、おばさんは忙しそうに振舞っていたし、実際店の評判は支那そばのおかげでうなぎ登りであったのも事実である。
 おばさんは観念したのか、丸椅子にどっこいしょと腰掛けるとマサナに背を向けたまま、おもむろに口を開いた。

「清ちゃんだって辛かったんだよ。樺太から帰ってきて夢中で働いてたけどさ、あんたの手前呆けてる訳にもいかないし、あの子は精一杯頑張ってたよ。少しでいいんだ、休ませてあげなさいよ」
 おばさんの言うことにも一理ある。けれども、マサナには黙認できない事がひとつだけあった。
「彼の身の振り方など問題にしていません。俺の顔を立てて欲しいなどと一度も考えたこともありませんでした。むしろ俺の立場が清一郎君を追いつめていたかもしれないと思う時もあります。ただ、彼はユキオ君に対する責任を放棄して一人逃げ出したんです。一度も顔を合わせないまま、ユキオ君を留萌に行かせる訳にはいかない」

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
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