【文豪】

50、43、そして35(15)

「前より男前になったんでないかい?」  
「お父さんの顔に泥塗るような真似して、本当に情けない」
 清一郎の顔のあちこちにある傷を面白そうに眺めまわす菊池と、声を詰まらせる志づの反応は実に対照的だった。
 絶句した後、泣き出す姉の姿に身の置き所のない清一郎であったが、不愉快な事件を蒸し返され再び怒りがこみ上げてくる。

「姉さんはいつもそれだ。どうせマサさんが偉い人にかけあってくれたんだべ?悪かったよ、出来の悪い身内のせいで下げたくもない頭下げさせてよ」
「それが反省してる態度か!飽きるまで牢屋に入ってこい!」
 志づには似つかわしくない荒々しい口調に怯みながらも、清一郎は自分の言葉を撤回する気は更々なかった。
「マサさんには悪いと思ってるわ、けどそれだけだ。どうせ捕まるなら三上の奴をぶち殺しておけばよかった」

 言葉を失う姉に拒絶の背を向け、清一郎は一人歩き始めた。
 志づを気遣うせいか、菊池の声も精彩を欠いた。
「何があったか知らねえけども、ちゃんと姉さんに謝れ。どこさ行くんだ」
「俺なんかいねえ方がいいんだよ。マサさんに合わせる顔もねえ。菊さんにも迷惑かけたな」

 札幌に出張中であったマサナがほうぼうに手を尽くして檻から出してくれたというのに、そのふてぶてしい態度はなんだ。
 心安らぐ菩薩の姿は消えうせ、般若と化した志づの口から飛び出したのは「二度と帰ってくるな、この馬鹿たれが!」と追い討ちをかける言葉だった。


***


「辞めた?それっていつですか」
 ユキオの声が、閑散とした倉庫の天井高く響く。
「二週間くらい前だな。よく働いてくれて助かってたんだけどさ、なんだか引き止められないような顔しててさあ」
 清水屋の主人はあからさまに落ち込むユキオが気の毒でならなかった。
 けれど娘のたか子は至って冷静である。
「父さんじゃらちがあかないわよ。行こう、ユキオ君」
 役立たずの父親に見切りをつけ、たか子はさっさときびすを返す。

 たか子の機嫌の悪さは、ユキオの知る限り過去最悪のものだった。
 あの人がどうなろうと知ったこっちゃない、というのがたか子の本音であったが、一方で清一郎までもが行方知れずとなれば、自然と嫌な想像をしてしまう。

「絹子さんに用なの」
「清さんと、絹子さんと一緒でないと」
 ユキオが取り出した封筒の表には、清一郎と絹子、そしてユキオの名前が記されている。
 嘉一が残した手紙をどうしたものか迷いながら、結局ユキオは中身を確かめられず今日に至った。
「気にしないでさっさと開けちゃえばいいじゃない」
 たか子は素早くユキオから封筒を奪うと無理やり開封しようとするが、すんでのところでユキオに阻まれる。
「三人一緒に意味があるんだよ。清さん達にも読んでもらわないと。だから今は駄目」

 ユキオの真剣な眼差しにけおされたのか、たか子は弱い者いじめをしているような罪悪感を覚えてつっけんどんに手紙をつき返す。
 大切な手紙を無事取り返し、ユキオは安堵のため息をもらした。
 風を切るように歩いていたたか子が、ふいに足を止める。
「今から絹子さんに会いに行くわよ」
「どこにいるか知ってるの」

「私は会いたくないけど、清さんの居場所も聞かなきゃでしょ?」
「何で絹子さんが?」
 たか子はユキオの鈍さが歯がゆくて仕方がなかった。
「なして気づかないのよ!二人してしめし合わせたみたいにいなくなるんだもの。私は絶対嫌だけど、一緒かもしれないじゃない!」
 たか子の心を打ち砕くように、事情を飲み込めないユキオが「どうして?」ともう一度問いかけた。 


***


 たか子に導かれてたどり着いた場所は、駅のはずれにある繁華街であった。
 日本人が多いのはもちろんであったが、進駐軍の姿も見かけた。
 時折朝鮮や中国語らしき言葉も聞こえ、ユキオはすっかり萎縮しきっていた。
 日本人以外の人間はおそろしいものだとマサナに聞かされ、アイヌも朝鮮人も進駐軍もユキオにはかかわりのない人々であった。
 今ここに自分がいることを知ったら、マサナはどんな反応をするだろうとユキオはふいに思った。
 あまり考えたくはなかった。

「たかちゃん、子どもがこんな所に来たらいけないって」
「何が悪いのよ。人探しだもん」
 怒り混じりな口調のたか子であったが、それは心細さを隠す為でもあった。
「本当に、絹子さんだったの?」
「だってこの前見た時にはあばずれに戻ってたもの。みったくない化粧してさ、仕事だってここに戻るしかないじゃない」

 突然たか子に向かって口笛を吹く兵士に驚き、ユキオは「やっぱり帰ろう」と小声で言った。
「ユキオ君が私を守ってくれないと駄目じゃない!なして女の子の後ろ歩くのよ!」
 限界を超えたのか、たか子はとうとう涙声になる。
 たか子の手を引いたものかどうか迷いながら、ユキオはとぼとぼとうなだれ前を歩くほかなかった。
 小さな飲み屋が連なり、女給らしき洋装の女性達が真冬にもかかわらず薄着で路上にたむろしている。

「あれよ」
 たか子の指差す先には、店の前で客に手を振る女性がいた。厚化粧のせいでユキオには絹子なのかそうでないのか検討もつかない。
 だが似ていないこともない、とユキオは必死で大きな瞳をこらして女性を凝視していた。
 客が去った後、女性は路上で煙草に火をつけようとしていた。
「絹子さん!」
 たか子は闇討ちするかのごとく、ありったけの声を振り絞る。

 煙草を手にしたまま、ユキオ達を凍りついた表情で見ているのは間違いなく絹子だった。
「あなた達……」
 絹子であってほしくはなかった。けれどユキオの目の前の女性は自分を見て驚き、怯える表情すら見せている。
 煙草を投げ捨てるのももどかしく、絹子はきらびやかなドレスの裾をひるがえすと、真っ暗な路地に姿を消した。

 たか子は立ち尽くすユキオには目もくれず、夢中で絹子を追いかけた。
 路地はどこまでも闇が続き、道沿いの建物からぽつぽつと放たれる明かりと、それを受けて道しるべとなる雪と絹子の足音に頼るしかなかった。
「清さんはどこにいるのよ!あんた知ってるんでしょ!」
 喉を引き裂かんばかりのたか子の声にも、返事はなかった。
 見えない雪の塊に足をとられ、たか子の体は道の真ん中に投げ出されていた。
 泣きたくなるような痛みをこらえ、たか子は懸命に耳をすますが、絹子の足音はいつの間にか消えうせていた。


***


 静寂を打ち破る足音に、清一郎は混濁した世界から現実へと戻る。
 のそりと起き上がると、頬を紅潮させた絹子がいた。
「そったら薄着でどうした。忘れ物でもしたか」
「ううん、暇だったから。ご飯、ちゃんと食べてね」
 ああ、とうめきながら、清一郎は再びごろりと横になる。
 ちゃぶ台の上には手付かずの料理と、布団脇には底をつきかけた酒瓶がある。
 絹子の瞳に映る清一郎の背中は、すねた幼子か孵化する前の幼虫を思わせた。

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
【この作品の最初の評価者になりませんか?】

5段階で評価をお願いします!一番左が「1」、一番右が「5」となっています。
※一度評価をしますと取り消しができませんのでご注意ください。


次回に期待・・・もう少し普通良い文章最高! (まだ投票されていません)
Loading...
コメント 0件

コメントはこちら

Return Top