【文豪】

50、43、そして35(14) 

「わざわざ首なんてくくらんでもこんだけしばれてたらさ、その辺で酔っ払って転がってなんぼでも綺麗に死ねたのにねえ」
「線路に飛び込まなかっただけ機関士の鑑だ。人が飛び込んだらどれだけ大変か、あんた全然わかってねえっしょ?」

 栄のおばさんは不躾な人々をきっと睨み、盆の上の熱いお茶をこの招かれざる客人の顔にかけてやりたいと思った。
 日に焼けた中年の男が軽く咳払いをし、隣の妻を肘でつつくと居ずまいを正す。
 その間マサナは一言も発さず、冷め切ったお茶に目を落としたままだった。
 熱いお茶を目の前に出され、マサナはそこでようやくのそのそと顔をあげる。

 夫婦から進呈された山のようなニシンを前にして、志づは複雑な心境であった。
 こったらもんで買収しにきたのか、だけどニシンに罪はない、と葛藤する志づの背後からおばさんの声がした。
「志づちゃん、私帰るわ。店もそろそろ開けんとだし」
「ごめんね、折角来てくれたのに」
 無言で首を振るおばさんの手に、新聞紙に包まれたニシンが押し付けられた。
 留萌からユキオの親類がやってきたのは初七日を過ぎ、一月も半ばの頃であった。

 外でタミ子達の相手をしていたユキオと清一郎に、おばさんは努めて明るい声をかける。
「そろそろ中に入らんと。ユキオちゃんのこと待ってるよ」
「そうか、すまんね」
 清一郎が投げ捨てた煙草が雪の上を、円を描きながらじわりと黄色い染みを広げていった。
 あの日と同様、清一郎は虚ろな眼差しのままであった。

 栄の女主人がもやもやした気分と身欠きニシンの包みを抱えて店に戻ると、絹子が雪を頭や肩に積もらせながら入口で待っていた。
 おばさんはすまんかったね、と慌ててストーブの火をおこし、絹子を火に当たらせる。
「ユキオ君、どうするんでしょう」
 絹子はコートを着たまま丸椅子に座り、ぽつりと言った。

「ユキオちゃんを引き取りたいって言ってきたそうだよ。どうせ漁に出さして、ただ働きさせるつもりなのさ。学校だって満足に通わしてもらえるかどうか」
 漁が始まる二月には来てもらわんと、と勝手なことを言う夫婦におばさんは開いた口がふさがらなかった。
 やん衆と呼ばれる出稼ぎの人々がニシン漁の為に、ほうぼうから沿岸地域に集ってくる時期でもあった。
「ユキオ君は、なんて?」
「どうかね、あの子のことだからいやとは言わんだろうさ」
「マサナさんは」
「学校通わせたいとは言ってたよ。けど志づちゃんのところも三人いるし、引き取るにも大変だと思うよ。だいたいさ、引き揚げてきた時は俺が面倒みるって息巻いてたのに、今の清ちゃんじゃねえ。ユキオちゃんは気丈に振る舞ってるっていうのにさ」
 
 教習所通いも延期となり、清一郎は外との関わりを一切絶ち、家に閉じこもったままである。  
 清一郎の憔悴しきった姿に、こと勉学に関しては目の色を変えるマサナでさえ「行きなさい」とは言えなかった。
「清一郎さんは嘉一さんが大好きだったんです。いつも自分と比べていて、嘉一さんを意識しすぎていて、でも本当に誰よりも尊敬していて」

 だから余計に辛いのだと絹子は最後の言葉を飲み込み、さして暖かくもないストーブの前でコートを脱ぎ始めた。  
 傷ついているのはこの子も同じだろう、とおばさんは絹子にいたわりの眼差しを向ける。  
 人の心配ばかりで、誰かに慰めてもらうことも忘れたかのように、絹子は嘉一の死から涙を封印していた。  
 それに比べて清ちゃんの不甲斐なさときたら、とおばさんは腹を立てながらも、案外男は駄目だねえ、とだけ言った。 
「次は三人でおいで。支那そばはどうかね。最近流行りだからね、うちでもやろうかと思ってるのさ」


***  


 おばさんの新作が、三人の目の前で柔らかな煙をあげていた。  
 正直に言いなよ、とおばさんは気持ち良い音を立てる三人の様子をうかがっていたが、清一郎は何もわからないというのが本音だった。  
 麺だけでなく、何を食べても味がしないのだ。  
 いつになったら味覚が元通りになるのかわからなかったが、清一郎は永遠にこのままでもいいような気がしていた。  
 おいしいです、と代表して答えるユキオに、おばさんはようやくしたり顔でうなずいた。

 がらりと戸が開き、またしても招かれざる客が入ってきた。  
 ユキオ達は三上の姿に再び黙り込み、残りの麺を口に運び続けた。
「まーだ引きずってるのかい。仕事もしねえで優雅なご身分だな。まあ、身近な人間が目の前で死んだら、当分使い物にならねえくらい腰が抜けるだろうけどよ」  
 鼻で笑う口調は相変わらず腹立たしかったが、清一郎は平常心を保つべくどんぶりに覆いかぶさりながら麺をすする。 
「あんた機関士のくせに、一度も轢死体見たことねえって本当か」
 勝気な清一郎を怒らせるには充分すぎるほどであった。
 清一郎はそれまでの無気力な表情を一変させ、生気というよりは殺意を含んだ形相で三上を睨んでいた。
 血走った目で見上げる清一郎に、三上は同情を込めつつも不謹慎な笑みを返した。

「みんな言ってるよ。見慣れてりゃあ多少楽だったのになあ」  
 こったらろくでなしは今すぐ追い出した方がいい、と栄のおばさんは調理場で怒りをみなぎらせていた。
「で、遺書には何て書いてあった?俺宛てに何も残さないわけがねえ」
「あるわけねえべや」
 二人のやり取りを聞きながらこっそり顔をあげるユキオが、次第に青ざめてゆく。  
 隣の絹子もユキオにつられ、いつしか箸は止まっていた。

「葬式に顔も出さんと、言いたいことはそれだけか」
「千葉ももったいぶりやがって。あいつは死んでもそういう奴だよ。今頃三途の川原で俺達を見て高笑いしてるかもな」 
 そして今度は清一郎の前に座る絹子に狙いを定めたのか、絡むような口調で話しかける。
「あんたも千葉がいなくなったら途端にそっちの兄さんに鞍替えか。そりゃあそうだよな」
「どういう意味だよ」
「そのまんまだろうが。その尻が落ち着くのも随分とお早いことで。それしか能がねえもんなあ」  
 清一郎が箸を置き、勢いよく振り返る。
 どこまで性根が腐っているのか、この男は人を不快にする言葉しか知らないようだった。
 これ以上聞いちゃいらんない、と栄のおばさんは引き戸を勢いよく開け放ち、三上を睨みつけた。

 さっさと出ていけ、と栄のおばさんが言うより早く清一郎が立ち上がり、三上の胸ぐらを掴んでいた。
「表に出ろ」
「やるのか」
「外に出ろって言ってるだろうが!」
 清一郎の唸るような怒号が狭い店内に響き渡る。

 次の瞬間もつれあい、外に転がり出る二人に驚いた客達は次々に悲鳴をあげる。
「ぶっ殺してやる」
 泥と雪にまみれた三上に馬乗りになり、拳を振り上げる清一郎がいた。
「清一郎さんやめて!」
「駄目だよ清さん!」  
 絹子やユキオの必死の叫びも、清一郎の耳には届いていなかった。

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
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