【文豪】

バベルの塔

 その男は厳格な王であった。名をニムロドと言う。彼はその昔、勇敢な狩人と呼ばれていた。彼はその神童とまで謳われた腕と知恵で、人に危害を加える猛獣どもを次々に倒し、はたまた襲い来る様々な天災から人々を救っていった 。そうして、彼は英雄となった。ニムロドの守る部落は、 やがて部落から村へ、村から町へ、そして町から国へと拡大し、ニムロドはその国の王となった。それが太古に栄えたアッシリアである。
 ニムロドは、地上で初めての勇士となった。それは主なる神の恵の元であると、皆が口を揃えて言ったが、 彼はそれをそうだとは思わなかった。確かに主である神は創造主であるが、この力は自分自身のものであるという、 自らの力に対する自負があったのだ。だから彼は自分こそ神だとし、慢心とまで言える姿勢で政治にのぞんでいたのだった。


 ニムロドは、広大な土地を有するアッシリアを一人で統括していた。彼の権力は絶対でありながら、また、広大故の危うさもニムロドは感じていた。
 それはそんなニムロドが、視察のためバビロニアを訪れていた時の出来事だ。 王であるニムロドには、その街でとびきりの宿が用意された。その宿のその部屋は、王であるニムロドに相応しく、豪華でとりわけ派手であった。天蓋つきのベッド、 羊の毛で編まれた絨毯。また、奥にはニムロド 一人で使うには広すぎる石造りの浴槽まであった。しかし、煌びやかに飾られた、室内を一目見て、ニムロドは顔をしかめ、外で控えていた家来を呼びつけた。
「いかがなさいました、王よ?」
「この部屋を用意したのはお前か?」
「はい、さようでございます」
  家来の男は、ニムロドの邪悪な気配に身を強ばらせながらも、彼の問に素直に答えた。
「……何故、女神の像がある」
「あ……」
  従者はさっと顔を青ざめ、恐怖に震えた。
「も、申し訳ありません。今すぐ取り払わせますので…… 」
「その必要はない」
  ニムロドは低く囁き、腰に付けた剣を抜いた。
「女像は後で私が自ら粉々に砕く。そして貴様は、今ここでうち首だ」
  ニムロドはそう言うと男の制止も聞かず、その首へと容赦なく剣を振りおろした。隣にいた侍女の悲鳴と共に、辺りに血が飛び散る。彼の鎧も返り血で赤く染まった。
「……今日は疲れた。私はもう寝る。誰も入ってくるな。 それから、これを明日の朝までに綺麗に片付けておけ」
 ニムロドは汚いものを見る目で男の首を見たあと、さらに足元の首を蹴飛ばし、恐怖に戦く従者たちを残して扉を閉めた。
 ニムロドは勇敢な王として敬畏の念を送られる反面、その手段を選ばない非道さと、こうして気に食わない者は直ぐに殺してしまう横暴さで、残虐な王としても恐れられていた。そして、英雄と慕われていたのも今は昔、今となっては愚かで野蛮な猟師だと一部の人間からは嘲られていた 。
 彼はこの時代には珍しく、神を信じ崇めていない。彼には信仰と言う気持ちがなかった。むしろ彼が信じるのは自らの力だけであり、姿も形もないくせに、人々が崇め恐る神が邪魔でしかないものだった。もちろん彼とて、最初は己を作り出した神を敬う気持ちはあった。しかし、ニムロドが力を付けるにつれて、彼は自分の力に己惚れるようになったのだ。また、彼の母が彼の幼いときに死んでいることも、 彼の信仰心のなさに少なからず影響していることだろう。幼いときに母親を亡くした彼が、信じ頼れたのは自分しかいなかったのだ。そして、彼は信仰心というものを捨てた。今となっては、ニムロドにとって神とは邪魔なものであり、故にニムロドは神を忌み嫌っていた。彼が神のことで機嫌をそこね、こうした事件を起こすのもけして珍しいことではなかった。
 すっかり機嫌をそこねたニムロドは、怒りの丈を女像にぶつけるべく、像の前で剣を抜いた。しかし、ニムロドの 動きはそこで止まる。 女像のそばにあった小さな窓から外が伺えた。そこには 、美しく可憐な女がいた。彼女の髪は陽の光を浴びてキラキラと輝き、落ち着き前を見据えるその瞳にニムロドは目を奪われた。ニムロドは思った。今までこんなにも美しい女は他に居ただろうか、いや、きっと居ない。
 ニムロドは急いで窓枠から顔を覗かせると、今しがた女の通った道を見た。女は食べ物の入った籠を片手に、真っ直ぐと迷うことなく道を進み、古ぼけた建物の中へと入っ ていった。彼は剣を仕舞うと、外へと向かうことにした。途中、思い出したように血に汚れた服を着替えた。
 ニムロドは上機嫌で、バビロニアの街を歩いていた。活気のある商店街には目も呉れず、目指すのは先ほど女の入った古ぼけた建物。彼は既に女を妃にするつもりでいた。ニムロドは賢い男であるが、気が短く感情的で、そして何より自分への自信は絶対であった。故に女がニムロドの誘いを断るわけが無いと、本気で考えていたのだ。
 その建物は、街の活気から少し外れた草の生い茂る場所にぽつんと、周りと距離をおくように建っていた。建物はニムロドの想像していたものよりはるかに古く、所々ひび割れてきっと雨漏りだってしていることだろう。何と言うか、みすぼらしい。だが彼はそんなことは毛ほども気にせず、軽い足取りでその中へと入ろうとした。しかし、ニムロドはその建物の中を見て呆然と立ち尽くした。開かれた扉の明かりに照らされて、まず目に入ってきたのは中央に置かれた十字架。そしてその手前には、十字架へと続く道のように赤い絨毯が敷かれ、その絨毯の左右には椅子が並んでいた。信仰心のないニムロドは、そういった場所を訪れたことは今までに一度もなかったが、中央に置かれた十字架が、ここが何を崇め何を尊崇している場所か、嫌ほど理解できた。それと同時に、ニムロドは酷く裏切られた気分になった。
 彼はとても憤慨し、必ず女を殺してやろうと剣を抜いた 。そして、教会へと一歩足を踏み入れようとした時、
「何かお悩みですか?」
ニムロドの背後から、声をかけられた。振り返ればそこには、先ほどの女が立っていた。近くで見た彼女はより一層 、美しかった。陽の光を浴びて光る金色の髪、女神かと見間違うような神々しさが彼女にはあった。髪と同じ黄金の瞳には、底知れない強さと慈愛に満ち溢れ、その瞳にニムロドはまたも魅入られた。しかし、彼は次の瞬間には、その目に怒りをたたえ女を睨んだ。ニムロドは答えた。
「……そうだ。私は今、大変悩んでいる」
「それならば、僭越ながら私がお話をお聞きしょう。なんの解決にもならなくても、気が楽になるかもしれないでしょう?さぁ、中へどうぞ」
 ニムロドの視線に気づくこともなく、彼女はそう言って彼に笑顔を向けた。まるで、そこにだけ陽が照っているような錯覚に陥った。それ程彼女の笑顔は、全てを受け入れ癒すかのように懇篤としていて、美しかった。しかし、その視線がいつまでもニムロドを捉えないことに彼は言葉を失って、やがて構えていた剣を鞘へと収めた。
「小さくて、小汚い場所なのですが……」
「構わない」
 彼女の気付かう声にしっかり返事を返しながらながら、彼は促されるまま教会へと足を踏み入れた。

著者

上原 空
下手くそですが、書くのは好きです
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コメント & トラックバック

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  1. 管理人
    管理人

    適時改行は最低限必要です。

    • 上原 空

      ご指摘ありがとうございます。直させていただきました。
      他にも何かあれば教えていただきたいです。

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