【文豪】

50、43、そして35(11) 

「俺が許せねえのは、あんたが絹子さんに嘘をついたことだ。どれだけこの人が親父さんを心配してたか、知らねえわけじゃねえだろう!なしてそったら酷いことが出来るんだ」
 清一郎の怒気を帯びた声が一瞬辺りに響いたが、あっという間に空を舞う雪へ吸い込まれる。
 絹子の唇が寒さのせいなのか、わずかにわなないていた。

「そう責めなさんなって。あんたがたがなーんにも知らずにのん気に暮らしてる間、樺太の人間はそりゃあ大変だったんだよ?」
 思わずかっとなり、清一郎は噛み付かんばかりに三上に言い返した。
「俺達だって毎日必死だった!」
 自分達が無作為に生きていたとでも?そんなことは、誰にも言わせない。
 初めて会った時の絹子は似合わない舶来品の服を着て、慣れないかかとの高い靴をはいていた。
 華やかな装いとは裏腹に、痛々しさが目についた。

「しかしあんたも人が悪いよなあ。まるっきり無関係ってわけでもなし、その子を可哀相に思うなら施しじゃあなく、親父のしでかしたことを話しちまえばよかったんだ。隠しておきたいんだろうがよ」
 三上は嘉一に目をやり、ふわあとあくびをする。
 三上はあくまでも己のままに、けだるそうな口調は変わらなかった。
「お父さんに、父に何があったの」
 絹子は唇を震わせながら、両手を固く胸の上で握り締めていた。

「もう日本に帰りてえって無い知恵絞って鉱山から脱走を企てたんだとよ。あっさり捕まって、それっきりだ」
「他の手稲の人達も帰ってこないのは、そのせい?」
「大勢で逃げるなんてよ、うまくいかなくて当然だろ」
 三上は寒いねえ、と両手をこすり合わせると橋の欄干へ背を預けた。

「あんたは黙ってみんなを見捨てたの」
 三上はぼさぼさに伸びきった頭を上げ、殺気をはらんだ絹子をちらりと横目で流す。
「敷香にいた頃のことまでは知らねえよ。相当前にあいつらとは手を切ったからな」
「結局みんな、あんたに騙されただけじゃない!」
 絹子は三上の襟元を掴み、血走った目で三上を上目遣いに睨んだ。

「俺が強制したわけじゃねえだろ?ひでえ言われようだ。俺だってあいつらがどうなったか気にはしてるさ。だから千葉に頼まれて、わざわざ親父どもの行き先がどこか探ってやってるんだろ?人を詐欺師みたいに言いやがって。それにあいつらを見捨てたのは俺じゃなくて千葉だ。自分だけ助かって、のうのうと生きてるじゃねえか」
 相変わらず三上は、へらへらと軽薄な笑みを浮かべるばかりである。
 清一郎と絹子はそれぞれの思いを抱きながら、衝撃的な三上の発言に言葉を失っていた。
 絹子の為に、嘉一が三上と手を組んでいたと。

 がたがたと震え続ける絹子の手の上に、自分の手をそっとを添えたのは嘉一だった。
 嘉一の手に真っ直ぐ導かれ、絹子のこわばった手はゆっくりと下へ降ろされた。  
「そん時嘉一さんは何してたんだ。馬鹿なことはやめれって、親父さん達を止めなかったのか」
 清一郎の声は、彼らしからぬ重々しい響きがあった。
 嘉一は動じる様子もなく、同じように押し殺した声を発する。そのくせその言葉は悟りの境地にあるような穏やかさを含んでいた。
「お前ならどうしてた。皆を説得したか。それとも自分も誘いに乗って一緒に捕まったか。あの時のお前なら、十中八九そうだろうな」
「それは」
 何か言い返したかったが明確な答えを出せず、清一郎はひたすら拳を握りしめていた。

「したら何の為に樺太に残ったんだよ。大勢の人を、一人でも多く助ける為だったんだろう!汽車を降りたら無関係か。そうじゃねえって、俺に偉そうに言ってたのは嘉一さんだべ!」
 自分達の仕事はただ汽車を動かすだけではない。あらゆる人々の為に自分達は在るのだと、おそろしく抽象的ではあったが嘉一はある時、清一郎に説いた。
「困ってる人がいたら、助けるのが俺達の仕事だ。どこにいてもそれを忘れるなって。言った嘉一さんが忘れるわけねえべ?なしてそったら冷たい人間になれるんだ」 
「自分を正当化するつもりはない。俺は臆病風に吹かれ、誰も助けなかった」

「あの時の樺太を知らねえ奴はどうとでも言えるさ。兄さんは幸せ者だ。ロスケの恐さがわかってねえもんな」
「なんだと!」
 振り上げたい拳は、相変わらず清一郎の膝の上にあった。
 誰も何も、間違ったことは言っていない。理不尽な思いを抱いているのは、むしろ清一郎自身だとさえ思えてくる。

「申し訳なかった」
 絹子の手に、嘉一のごつごつした手のぬくもりが手袋越しに伝わってくる。
 絹子は鼻をすすり、賢明に涙を止めようと唇を血が滲むほどに噛みしめていた。
 いま一度力を込めて嘉一の手を握り返すと絹子は笑みをたたえて何度も頭を振る。
 帽子に積もった雪が、足元をめがけはらはらと散ってゆく。

「どれだけお父さんが、私が馬鹿だったかわかったわ。父はね、止めて聞くような人じゃないのよ。嘉一さんは悪くないわ。清一郎さんにも迷惑かけて、本当にごめんなさい」
「誰も悪くねえ。誰も悪くねえんだ」
 清一郎の言葉も、彼なりに熟考した結果のものであった。
 けれども結局自分は、相変わらず役に立たない男だった。
 絹子の心がわずかでも軽くなるような気の利いた言葉ひとつ浮かばず、なぐさめることもできない。
 絹子は軽くお辞儀をすると、無言で町に向かって歩き出した。

 清一郎は残された男二人から逃げるように絹子を追う。
 やがて清一郎は絹子の真後ろにひたりと張り付き、歩調を合わせるまでの距離に近づいた。
「いかにも父らしいわ。最後まで自業自得ね。嘉一さんに罪悪感まで抱かせて、本当にどうしようもない人」
 独り言のように呟く絹子の背中を見据え、清一郎は深呼吸を何度か繰り返した。

 目の前には鉄道官舎があり、いくつもの煙突から白い煙がたなびいていた。
 煙の筋は細く舞い上がり、紺色の空に紡がれ消えていく。その先に天の糸車でもあるのだろうか。
 絹子は空を見上げ、母親が糸を紡ぐさまをぼんやりと思い出していた。
「羊がいたのよ。村で一時、綿羊で生計を立てようって。お母さんがね、刈った毛をゆがいて縒って糸車にかけて糸を。あの煙よりももっと細いの、それでいて柔らかくて、強くてしなやかで」

「でも駄目だったの。次の年には、病気か何かで羊はほとんど死んだわ。ううん、最初から駄目だったの。元々村の人達は水害で村が全滅して、村ごと北海道に入植したの。誰かがどうにかしてくれるって他力本願なのね、羊が死んでも自分達の運の悪さを嘆くだけで、どうしたら良くなるかなんて誰も考えてなかった。父もそう。羊の群れと一緒よ。誰かについていけば、どうにかなると思ってる」
 絹子の瞳には、目的を持たず群れの先頭にどこまでも追いすがる羊が、父の姿と重なった。 

 絹子さん、と清一郎は呼びかける。その声は、自分で思うよりはるかに頼りないものであった。
 自分自身の不甲斐無さを打ち消すように、清一郎は振り返る絹子の腕をぐいと掴んだ。
「俺のところに、嫁に来てくんねえか」

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
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