【文豪】

橋と子供


 短い橋から川を見下ろす子供が一人。手すりによじ登って身を乗り出している。天気は曇り。辺りに人影は無い。子供はずっとそうしている。肘が痺れると組み替えてまた同じ格好になった。いつまで経っても人っ子一人現れない。南中だった陽が傾き始めて、お腹が空いてもそのままだ。不思議に思った誰かがその子供に話しかけた。相変わらず辺りに人はいない。
「君、そこの危ないことをしている青いトレーナーの君。君は一体どうしてそんなことをしているんだい」
 子供は手すりから飛び降りて、アスファルトをスニーカーで叩いた。辺りを見回して、その声の出処を探した。けれど見つからなくて、また手すりによじ登った。
「君はずっとそうしているね。どういう理由なのかとても興味があるんだ。もし君が良ければ聞かせて欲しいんだ」
 子供は黙って手すりから降りた。今度は注意深く、時間をかけた。真上や真下もきちんと睨みつけた。けれどやっぱり見つからない。やがて気味が悪くなったのか、手すりを背にして座り込んだ。
「怖いかい。でも怖くないよ。単なる興味本位だから。君はただ僕の質問に答えてくれればいいよ。ただ、もしかしたら君は僕の話し相手になってくれるかもしれないと思って声をかけたから、君さえ良ければもっと長いお話をしたいのだけれど」
 子供はハッとして立ち上がり、手近にあった小石を手に取った。それを橋のアスファルトに力の限り投げつけた。
「痛いよ、痛い。ひどいなあ。そうか、そんなに怖いものなのか。君たちはだって、八百万とかいう目に見えない霊を信じているのに、いざ橋が喋り出したら怖いのか。人間というのはよく分からないなあ」
 子供は走りだした。すぐに橋から飛び出た。
「ちょっと待って。お願いだよ、ちょっとだけでいいから、僕の話し相手になってくれよ。そうだ、僕は君より長生きで、きっと色々知っているから、君が知りたいことになんでも答えてあげよう。どうだい」
 橋から一歩離れて子供が言った。
「誰だ、お前。どうせ裏側に誰か居るんだろう。気味が悪いからそんないたずらはやめたらどうだ。警察を呼んだっていいんだぞ。すぐそこに交番があるんだからな」
 子供は道の遥か向こう側にある詰め所を指さした。
「そんなことを言われても、僕は橋だからどうしようもないし、信じてくれないならしょうがない。それでも僕は信じて欲しいな。君にとってはおかしいのだろうけれど、僕にとっては僕が僕であることが真実だから、それを否定されるのはとても寂しいよ」
「難しい言い回しでけむに巻こうとしてるようだけど、僕が子供だからって舐めないでくれよ。僕はそういう大人が大嫌いなんだ。今からそこのおまわりさんを呼んで来てやるから、こんな気味の悪い遊びはもうやめることだな」
 子供は言葉通り交番に走り、警官を連れてきた。警官は土手に降り、橋の裏側を調べた。何も無かった。
「ごめんよ。交番で怒られたんだろう」
 子供は橋の手すりにもたれかかっていた。
「お前のせいだ。僕がなにか悪いことをしたのか。ああやって川を見ていて何が気に触ったんだ。教えてくれよ、気持ちが悪いから」
「気に触ったわけじゃないよ。ただの興味本位だよ。君みたいな小さな子がああやって川の流れをずうっと見ているなんて、僕の何十年とある時間の中に無かったから」
「家の花瓶を壊してお母さんに怒られて、家から出て、帰るのも嫌だから、こうしてるだけだ。こんなこときっとありふれたことなんだろう。でも、そう思ってもやっぱり家には帰りずらい。橋のお前には分からないことだろうけど」
「確かに分からない。花瓶を壊すとなぜ怒られるんだい」
 橋は淡々と言った。
「逆に聞くけど、なぜ怒られないと思うんだよ」
「さあ、分からない。大体、壊れるというのが分からない。花瓶っていうのはガラス製かい。それとも陶器かい」
「ガラスだよ。材質がどうだってんだ」
「ガラスなら溶かしてまた同じものを作れる。陶器だったら粉々に砕いてまた別の粘土に混ぜて、やっぱり同じものを作れる。いや、それどころか、同じものを作る必要すら無い。とにかく新しく何かを作れる。人間ってのはそうやっていろんなものを作ってきたから、花瓶が壊れたくらいで怒られるのは僕にはよく分からない。どうして君は怒られたの」
「めんどくさい奴だな。でも、なんでだろう。やるなって言われたことをやったからかな」
「君は自分の意志で花瓶を壊したのかい」
「なんで怒られると分かりきってることをやるんだ。僕はそこまで馬鹿じゃない」
「じゃあそれは君にとって不慮の事故だったということだ。不慮の事故というのは時々に勝手に起こるものだ。それをなぜ怒られるんだい」
「そんなの知るか、怒りたい人に聞いてくれ。僕だって、君と全くおんなじことを思ってるさ。反省もしてるし、怒られる度に、同じことをしないようにと心に誓うさ。でもやっぱり似たような間違いをするんだよ。きっと子供ってのはそういうもんなんだよ。もしも、同じ失敗を二度としない子供がいたら、そいつはきっと学校の勉強も全部満点だろうさ。でも、そんな天才、そこら中にうじゃうじゃいるわけがない」
「君を見てると楽しいな」
「お前、やな性格だな。人が落ち込んでるってのに」
「君の言ったことは、そのまま大人にも当てはまることだよ。もしかしたら君を怒ったのも失敗の一つなのかもしれない。そういう風に考えてみたら気が楽にならないかい。大人だって天才ばかりじゃないことくらい君にも分かるだろう。大人だって失敗をするんだよ。長年ここで橋をやっている僕には分かる」
「橋のくせに人間を知った風にするなよな。大体、僕のことだって知らないくせに、よくそんなにえらそうにできるもんだ」
「ごめんね。確かに僕は人間をそこまで知っているわけじゃない。でもそれは人間だって同じなんじゃないかな。君だって、身近な存在のはずのお母さんが何を考えているかなんて分からないだろう。もし分かっていれば、怒られた理由が分かるはずだからね。だったら、橋である僕が君の考えていることを分からないまま君や人間のことを喋ったっていいんじゃないかな。どうせ僕も君も、他の人だって人間のことを分からないのだから」
「本当に面倒くさくてやな奴だ。僕はどうしたって知識が大人よりも少ないから、やな大人はそれに付け込んで僕を馬鹿にする。人間でもないお前からもそういう風にされると、いよいよ僕は気分が悪い」
 橋は黙った。
「おい、何か言ってくれよ」
 橋は黙っている。川のせせらぎがさらさら聴こえた。
「少し言い方がきつかったな。ごめんよ。もう少し、なにか教えてくれよ」
「ごめんね。ちょっと考えていたんだ」
 橋は今までと同じ調子で言った。
「そろそろ君は家に帰れるんじゃないかって」
 子供は辺りを見回した。陽が沈み始めていた。子供は手すりから降りた。
「また来てよ。もっと話そう」
「お前はえらそうで、やな奴だ」
 子供はもと来た道を歩き始めた。

著者

やくたみ
やくたみ
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