【文豪】

50、43、そして35(8)

 忠別川が黄金色に染められ、二人はきらきらと波打つ川面を見下ろしていた。
 風はそよとも吹かない。
 橋の上で足元から上がる熱気で汗だくになっている若い男女に、嘉一はゆっくりとした足取りで近づいていった。

 清一郎の隣には、見たこともない若い女がいた。派手な洋装であるのは進駐軍相手の女給だからだろうか、と嘉一は意外に思う。
 清一郎はむすっとした顔であらぬ方向を向いていた。
「急ですまねえ。だけど嘉一さんに、どうしてもこの人を会わせたかったんだ」
 嘉一はそう、と答えるとしばらく無言で女を観察していた。
 会わせたい人というからには将来の約束でもしたのだろうか、と嘉一は不思議な取り合わせにますます意外に思う。そのわりには、清一郎の表情は冴えなかった。

 女は意を決したかのように嘉一を見すえ、張りのある声を発した。
「私の父は樺太に行ったきりで、でももしかしたらあなたが何か知っているかもしれないって、三上が」
 嘉一は自分の予測が早とちりであったと気付き、妙にしゃちほこばっている清一郎に苦笑していた。
 だが清一郎の声は、この世の終わりを告げるかのような重々しさがあった。

「敷香で嘉一さんは何をしてたんだ」
「三上に会ったのか」
「俺だけじゃねえ、ユキもだ。三上はなして嘉一さんにまとわりつく?あいつに、人に言えない弱みでも握られてるのか!」
 清一郎の野太い声に、女は思わず肩を震わせる。
 清一郎のただならぬ剣幕に驚き、女は口をつぐんでしまった。
「嘉一さん、本当のことを言ってくれ」
 嘉一に懇願する声も顔も、今までに見たことのないものであった。

「俺は、この人と話をしている」
 動じる様子もなく、嘉一は清一郎をさえぎると目の前でうつむく女に優しく尋ねた。
「お嬢さんのお名前は」
「伊藤絹子です。父は、伊藤六郎。村の人たちと何人かで、手稲(ていね)から樺太に渡ったんです。ご存じありませんか。父達は金を掘るって、三上と一緒に」
 嘉一は色濃くなる川面に目をやり、ややあってから頭を振った。
「申し訳ないが、おそらく面識はないと思う」
「嘘ついてねえよな?本当だよな?」
 再び清一郎の口調が荒々しいものに変わり、絹子達の間に軽い緊張感が走る。

「知らないって言ってるのよ。そんな責める言い方しないで」
 自分を見上げる絹子の顔は、あからさまに清一郎を非難するものだった。
 あっけに取られて自分を見下ろしている清一郎から視線を外すと、絹子は「帰るわ。仕事、行かないと」と言った。
 彼女を擁護したつもりが何故か裏目に出たらしい。
 背中を向けた絹子は、清一郎に腹を立てているようにさえ見えた。

「他にも私と同時期に引き揚げてきた人間が何人かいます。何かわかったら必ずお伝えしよう」
「ありがとうございます」
 それから二人は小声で何ごとかを交わし、おもむろに歩き出す。
 清一郎は困ったような顔で二人の後ろに続く。

「送りましょう。どちらまで」
「俺が。俺が行く。ユキが待ってるだろ」
 ずいと体を押し出し、清一郎はずんずんと歩きはじめた。
 不意打ちだったのか、絹子はぽかんとしていたが、嘉一に会釈すると大股の清一郎の後を追って小走りになる。

 やがて清一郎の背中にぴたりと張り付くように歩く絹子がいた。
「嘉一さんとお話できてよかったわ。迷惑になったらどうしようって思ってたんだけど、手がかりになるようなことがあったら教えてくれるって」
「そうか」
 振り向けば絹子の頬が、ほんのりと赤みをさしている。それは残暑のせいなのか、それとも嘉一のせいなのか。
 清一郎は例えようもない焦燥感に襲われ、無意識に拳を握り締めていた。
 余裕がないのは自分でも自覚していた。
 けれど何故そう感じねばならないのか今の清一郎は知る由もなく、絹子に気付かれぬよう押し黙ることで精一杯であった。


***


「マサさん、樺太に金なんてあったか」
 あの女性のことを問い詰めるつもりであったのに、清一郎の口から飛び出た言葉は色恋沙汰とは無縁のものであった。
 嬉しいような悲しいような複雑な気持ちで義弟の真剣な顔を見つめ、マサナは「うーん」と軽くうめいた。  
「金?手稲(ていね)や恵庭(えにわ)のような?」
 北海道にもいくつかの金山はあった。けれども産出量は国を潤すほどではなく、終戦前の混乱でささやかなゴールド・ラッシュは終息を迎えた。

「確か国境辺りだったと思う。上敷香(かみしすか)だったか古屯(ことん)だったか、どこだったかね。北では多少なりとも産出したようだけど、わずかな量じゃないかな。掘れば南でも出てくる可能性はあるね。もっとも今は北も南も関係ないが」
 上敷香と聞き、清一郎は再びむっつりとした表情で暗闇を睨んでいた。
「三上が言ってたことも、あながち嘘じゃねえってことか」
 マサナはもう一度軽くうめき、あごに手を当てた。
「随分昔の話だよ」

「それが本当なら、なして日本は金を掘らずに石炭掘ったんだ?」
「結局、効率が悪かったんだろう。埃程度しか集まらない金を掘るより、石炭の方が重要だし」
 清一郎は額の汗を袖で拭うと、一息に煙草を踏み潰した。 
「なしたの、急に」
「いや、なんも。わからね。いっぺんにいろんな話聞かされて。俺は敷香でそったら話、全く聞いたことねえんだ。眉唾もんだ。金脈探しだって、とてもじゃねえけど信じられね」

 嘉一が敷香に戻ったことを、三上はさかんに強調していた。
 清一郎達に言えない何かを抱えていると暗に語っていた。そして嘉一が未だにソ連の支配下にあるとさえ。
 馬鹿馬鹿しい、と清一郎は三上の不快な発言を忘れることにした。そうするしかなかった。

「宝探しか。いいね、楽しくて夢がある」 
 マサナは歌うような口調で呟き、煙草の火をもみ消すと一足先に家の中へ戻っていった。
 清一郎は一人玄関の前に座り込み、マサナからもらったもう一本の煙草に火をつけた。
 正直なところ、一度たりともうまいと思わなかった。汽車の煙よりまし、な程度の認識であった。

 結局嘉一は、敷香で何をしていたか教えてはくれなかった。
 絹子がいたせいなのか、うまくはぐらかされたような気がしないでもない。
 嘉一への信頼が揺らいでいるわけじゃない、と清一郎は自分に言い聞かせた。
 自分の知らないところで何をしていようとも、長年信頼し尊敬する男なのだから、彼の全てを受け入れるつもりでいた。

 ふいに、絹子の柔らかい笑顔が浮かんだ。その笑顔は、出会ったばかりの嘉一に向けられたものであった。
「嬉しそうだったな」
 知らず知らずのうちに、一人で呟く自分が理由なく情けなかった。
 体の内側から、もやもやとした煙に冒されていく気がした。
 きっと煙草のせいだべ、と清一郎は晴れない心のまま三日月を見上げると、汗ばんだ手のひらをシャツで拭った。

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
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