【文豪】

50、43、そして35(7)


 男は片頬を上げ、見る者を不快にさせる笑い方をした。
「二度と俺に話しかけてくんな。ついでに、ユキにもだ。あいつに近づいたらただじゃおかねえ」
 清一郎はすごんでみせるが、男は相変わらずへらへらと笑っているだけだった。
「あのガキは気付いてるよ。自分の父親がロスケの手下になって、人に言えないようなことをやってたくらい」

 もし自分が嘉一と同じ運命を辿ったならば、支配国に逆らうなど不可能であったに違いない。
 自分はその苦労など何一つ知らないが、理不尽なことも数多くあったはずだ。
 血の気の多い自分など、虫けらのように撃ち殺されていた可能性だってある。
 生き延びる為に必死だったのだ、何を責められるだろう。

 清一郎は、嘉一の樺太での暮らしに無関心を装ってはいたが、やはり知りたいというのが本音であった。
 この男に惑わされてはいけないと言い聞かせるが、清一郎の中の欲求が次第に膨らんでいく。
「まわりくどくて何が言いたいのか検討もつかねえ。それに俺には関係ない話だ」
 心を支配される前に、この場から一刻も早く立ち去りたかった。

「あの男は頭が切れる、おまけに従順ときた。ついでに敷香を知り尽くしている。ロスケにとっちゃあ、格好の手駒だったってわけよ」
「おめえの言ってることが半分は本当だとしてもだ。使える人間を、そう簡単に手放すもんか」
 この男との不愉快な会話をさっさと終わらせるはずが、清一郎が気付かないうちに、相手に会話の主導権を握られていた。
 男はしたり顔でうなずいた。
「そうだよなあ。どうして帰ってこれたんだろうなあ。あんた知ってるか。結構な数の警察官や鉄道員がロシアのどこかに連れて行かれたよ。みんな帰ってこねえ。でもあいつは、のうのうと戻ってきた。樺太じゃあさぞかし待遇もよかったんだろうな。実は今でもまだ繋がってるかも知れないよ?」

「馬鹿でか、あんた。嘉一さんは自由になったんだ。もう誰も追っかけてこねえし、心配するようなことなんかなんも」
「そう言い切れるかどうか、あの男に聞いてみろよ。俺の話もあながち間違っちゃいねえ。金さえ出せば、いくらでもあっちとこっちを行き来できるんだ。それを馬鹿正直にロスケの言いなりになって辛抱して、皆さんご苦労なこった」

「三上!」
 若い女の叫び声が、清一郎の背後から聞こえた。
「お父さんはどこ。一緒に帰ってきてるの?どこにいるの!」
 三上と呼ばれた男にくってかかる威勢のよい女は、見覚えがあった。
 派手な洋装に濃い化粧の女は、嘉一を迎えに行った日に汽車で乗り合わせた女だった。

「見違えちまって、まあ。おとっつぁんが今のあんたの姿見たら泣くよ?」
「誰のせいでこうなったのさ」
 掴みかかろうとする女から身をかわし、男は取って付けた笑顔を浮かべる。
「悪いが俺ぁあんたのおとっつぁんがどうなったか知らねえんだ。むしろ、そこの兄さんなら一度くらい、樺太のどこかですれ違ってるかもな。それこそ千葉なら、もっと、なあ?」
 それまで清一郎が一切目に入っていない様子だった女が勢いよく振り向き、今度は清一郎ににじりよった。
「あなた、樺太の人なの?あたしの父を知らない?ないろ、知ってる?その前はえすとるで働いてて」

 困惑した表情で後ずさる清一郎に、女はますます詰め寄った。
 その瞳に浮かび上がる怒りの炎は男に向けられるべきものであるはずだが、清一郎は何故か自分に向けられているような気がして後ろめたささえ感じていた。
 一方三上と呼ばれた男の姿はとうに消えていた。

「あんた、あいつと知り合いなのか」
 ようやく清一郎が言葉を発し、それから素早く辺りを見回す。
 事情はよくわからないものの、この状況を知り合いに見られたくなかった。
 女は突然ぽろぽろと涙をこぼし始め、清一郎を唖然とさせた。
 おろおろしながら清一郎は、どのように声をかけたらよいのかわからず、途方に暮れるしかなかったのである。

 泣き続ける女に背を向け、清一郎は意を決して歩き出した。すすりあげながらも、女がよろよろと後ろからついてきた。
 清一郎が自分から逃げ出したのではなく、ついてこいと言っているのがわかったのか、女は幾分安心した様子で後ろを歩き続けた。
 振り返ることもできず、清一郎は黙って歩き続けた。
 時折すれ違う人が、清一郎の背後で涙を流している女に眉をひそめた。
 できることなら「この人とは何も関係ないです」と叫びながら走って逃げ出したかったが、女を見捨てて立ち去る気にはなれなかった。

 女が自分を見失わぬよう、普段よりゆっくりとした歩調になる。
 人目に付かず、二人で話せる場所など思いつかなかった。
 とにもかくにも歩き続け、清一郎は栄の店にたどり着いたのである。

***

 栄町の食堂で二人は向かい合い、うつむいたまま一言も発さなかった。
 店主のおばさんは、清一郎が女性を連れてやってきたことにまず驚く。
 その女性の瞳から溢れ出た涙が、頬を伝っては落ちるを繰り返していた。

 何度も汗を拭い、時々腕を組みなおす。
 若い女性と二人きりになるなど初めての経験で、清一郎は先程から頭の中が真っ白になっていた。
 しかもその女性は、怪しい男と接点があり、更には恨みさえ抱いている。女はまたもや唐突に口を開いた。

「父は、三上にそそのかされて樺太に行ったの。何度か便りをよこしたけど戦争が終わる前くらいから、どこで何してるのかもわからなくなって」
「三上ってのは、何者だ」
「山師よ。うまいこと言って、人を騙してあちこち渡り歩いてきたのよ」
 以前たか子からもたらされた情報とほぼ同一内容である。

「金山を掘るって、父は三上と一緒に出て行ったの」
「金?」
 そうよ、と女はうなずいた。

「金?」
 清一郎がもう一度聞き返すと女は再び怒りがこみあげてきたのか、恨み骨髄に徹する口調に変わった。
「三上が人を集めて、ついでにお金もいくらか出さして。三上の口車に乗せられた馬鹿な大人達が樺太に渡ったわ」

「悪いけど、そったら話聞いたことねえ」
 石炭は山ほど掘れるが、金鉱はないはずだ。
 第一、金脈が発見されたとあれば、樺太は遅めのゴールド・ラッシュで賑わっていたはずである。

 暇を持て余していたおばさんがおたまを片手に二人のところへやってきた。
「この店にも何度か来てるよ。樺太で一財産築いたけど全部ソ連に持ってかれたとかなんとか。それもどこまで本当の話かわかったもんじゃないね」
 おばさんの目にも、三上の存在は奇異に映るようである。
 ふと誰かの視線に気付き、清一郎は能面のような表情で振り返った。

 開け放たれた引き戸の影から、マサナが首だけをのぞかせていた。
「おばさんに届け物」
 非番の日であったマサナは、のんびり忠別川で鱒釣りに興じていたのか、その手には大きな鱒があった。
 戦利品を得意気に掲げたのち、マサナは黙り込んでいる若い男女に気付く。
 その片割れは、よく知る自分の義弟であった。 
 向かいに座る華やかな女は、小樽への道中に出会った女であった。
 泣きはらした目で自分を見上げる女と、固い表情のまま動かない清一郎を、マサナは遠巻きに見比べていた。

著者

渡部ひのり
時代劇もファンタジーもBLも恋愛物も刑事ものも、なんでも好きです。面白いものに垣根はありませぬを体現できるようになれたらいいなと思っています。
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