【文豪】

真白き雪のような君へ【5】


「親父のやつが俺の婚約をまとめようとしてる」

「婚約……」

 熱を帯びていたスノウホワイトの身体が一気に冷えていく。

「俺も、十八だ。周りの者も、この年まで妃を持たないのは良くないと心配している。確かに分かる。しかし話が急すぎる。今まで放って置いたくせに」

 ブレスドレインは苦虫を噛み潰したような顔した。

「東の大国スコグの第一王女サマーグラス。親父が婚約を打診している相手だ。彼女は今日の儀式にもスコグの使節として出席するだろう」

「サマーグラス……」

 以前、イースを訪れた彼女と顔を合わせたことがある。栗色の髪と切れ長の目が印象的な少女。確かスノウホワイトよりも一つ年上で、十六歳のはずである。

「儀式の後は、その話をするためにヨーデンに来るらしい」

 青天の霹靂(へきれき)とは正にこのことだった。スノウホワイトは頭が真っ白になり、ただじっとブレスドレインの顔を見つめることしかできなかった。

「彼女は儀式後の晩餐会にも顔出すだろう。そこで俺との婚約の話が出るかもしれない。だから前もって、お前に話しておきたかった。他人から聞くよりも俺自身から聞いた方が良いだろうと思ってな」

 ブレスドレインは白馬に視線を向ける。

「三日間、ろくに休みもせず、こいつを飛ばして来たのは、お前の晴れ姿を見るためだけじゃない。その事を直接伝えたかったからだ」

 スノウホワイトは、ためらいがちに尋ねる。

「――兄様は……、サマーグラス王女と……結婚したいの?」

 ブレスドレインは、鷹揚(おうよう)に微笑んだ。

「グリーンウッド叔母さんが付けたお前の名前、スノウホワイトって、どういう意味か知ってるか?」

 質問をはぐらかされ、スノウホワイトは眉を寄せる。

「確か、古き言葉で、真っ白な雪って意味でしょ。母様が言ってたのを覚えてるわ」

 ブレスドレインは感触を楽しむようにスノウホワイト艶やかな黒髪を幾度も指で梳(す)いた。

「真っ白で可愛らしい私の雪の精……。叔母さんは、幼いお前を抱きしめるとき、いつもそう呼んでいた」

 スノウホワイトの脳裏にグリーンウッドの姿が浮かぶ。

 明るい日差しの下、母は彼女を抱き上げて頬ずりしてくれた。頬の柔らかい感触が、ふっと蘇る。

「病に伏せっていた叔母さんに俺は約束した。叔母さんの代わりに俺がスノウホワイト守るってな」

「兄様……」

「俺の妃になる女は、もう決まってる」

 ブレスドレインはスノウホワイトを荒々しく抱き寄せる。そして耳元で囁いた。

「真っ白で可愛らしい、俺の、雪の精……」

 スノウホワイトの全身が熱く燃え上がる。

 ブレスドレインの顔が、ゆっくりと近づく。

 ――二人の唇が重なる。

 

 一瞬という永遠。

 

木の葉の陰が恋人達を優しく包み隠す。

秋風が爽やかにそよぐ。

遠くから軽やかな演奏が聞える。

残り香をまとわせ、影は二つに分かれた。

 

 スノウホワイトはブレスドレインの顔を、まともに見ることができず俯いていた。

 ブレスドレインは木に結んであった白馬の手綱を外す。

「俺は婚約を断る。そして親父に、お前との結婚の許しを貰うつもりだ。多分姉貴もブルーヘイル陛下を説得してくれるだろう。だから、お前は気に病むな」

 ブレスドレインは颯爽と白馬にまたがり、手綱を引いた。

「口づけは、俺からの成人祝いだ」

 そう言い残すと彼は馬の腹を蹴り、城門へと駆け出した。

 スノウホワイトは紅潮したままの顔を上げると怒鳴った。

「もうっ、ふざけないでっ!」

 城門を出て行くブレスドレインの笑い声が聞えた。  スノウホワイトは傷つけられたように熱く脈動し続ける唇に、そっと触れる。 「ほんと……、気が利かないんだから……」

 唇の感触を確かめながら、口元を綻ばせた。

 

 

 

 イスタップの都の中心部にタルフントの神殿はあった。煉瓦で造られた円形の建物は質素かつ堅固であり、大きな木製の扉を開くと中は一度に三千人ほどの人々を収容できる広さがあった。イスタップ城を除けば、都で最大の建造物である。

 スノウホワイトの成人の儀式は、そこで挙行された。

 各国の使節と神殿内を埋め尽くす群衆の見守る中、儀式は粛々(しゅくしゅく)とすすんでいく。

 最大の見所は司祭がスノウホワイトに成人の証である銀ティアラを授ける一幕だった。

 暴風神タルフントの象徴である翼の装飾の施された銀の煌めきを放つティアラ。  司祭が徐にそれをスノウホワイトに被せると、神殿内のあちこちから称賛の溜息が聞えた。

 額を飾るティアラは、時を得たかのように一層神々しく輝いていた。

 スノウホワイトは祭壇の中央に、しずしずと進み出る。

 人々の憧憬の眼差しが驟雨(しゅうう)の如く彼女に降り注ぐ。彼等の視線は露出している皮膚にチクチクするような感覚を与えた。

 神殿のどこからでも見られるように、床より一際高くこしらえてある祭壇には、人の背丈の五倍はある巨大なタルフントの像が鎮座している。胸まで伸びたあご髭。鷹のように鋭い目。背中には四枚の羽根を放射状に拡げている。従う者には優しき雨を降らせ、刃向かう者は大嵐でなぎ倒すという強き男神である。

 スノウホワイトは神像の前に立つことで自分もまた神の一員となったような錯覚に陥った。無表情に神殿内を見渡し、ひしめき合いながら彼女を賛嘆する群衆を睥睨(へいげい)する。

 神殿内は彼女の美と威厳に静まりかえる。

 群衆は濁った池に棲む鯉だった。口をパクパクと動かし餌をねだっているのだ。彼等の欲しているもの、それは言わずもがなだ。鯉に向かって餌を投げるように、彼女は大輪の花の如く微笑んでみせた。  凄絶とも言える微笑みは哀れな群衆を簡単に支配してしまう。

 静謐だった神殿内は一瞬で沸き立った。

 人々は快哉をを叫び、割れんばかりの拍手を彼女に贈った。

 祭壇の横手では王族と外交使節が並んで儀式を見守っている。サンシャインやブレスドレインの姿もある。

 スノウホワイトは誇らしげな顔を彼等に向ける。

 二人は嬉しそうに微笑みを返してくれた。

 だが父である国王ブルーヘイルの顔を見た時、スノウホワイトの喜びと自信は跡形もなく消失した。

 年若い近習(きんじゅう)に脇を支えられて立つブルーヘイル。  まだ六十前だというのに痩せこけ、頭髪は全て白くなり。顔は深い皺で覆われている。病のために一人で立っていることもできない。全盛期の彼からは想像もつかない惨めな姿である。

 ただ、そんな姿になっても唯一衰えていないものがあった。

 ――眼である。

 冷たく鋭い非人間的な眼光。それがスノウホワイトに突き刺さる。

 決して、立派に成人した愛娘を見る眼差しではない。何か薄汚いものでも見るような、侮蔑(ぶべつ)のこもった視線だった。

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