【文豪】

真白き雪のような君へ【1】


 ブルーヘイルは頭を抱えた。

 石造りの大広間には家臣の姿は無く、開け放たれた窓からは冷たい夜風が吹き込み、油灯(ゆとう)の、か細い朱色の炎を吹き消そうとしていた。時刻はもう真夜中という頃である。

 寒々とした空気の中、彼は一人ぽつねんと玉座に取り残されていた。
 若い頃、艶のあった髪には白髪が交じり、褐色の瞳には強い意志が残っているものの、目の周りには深い皺がひび割れのように走っていた。来年には四十を迎える。家臣達は未だに彼の壮健を疑わないが、最近では身体の芯に粘つくような疲労感を覚えていた。

 黄金や宝石で装飾された玉座は国の繁栄を物語る。
 ブルーヘイルが王となって十年、イースの国は経済的にも軍事的にも大成功を治めていた。
 作物は毎年豊作で、余剰を他国に売却することで莫大な利益を上げた。その利益を元手に軍備を整え、徴兵を行い、近隣では並ぶもののない強国へと変貌したのだ。
 野心溢れたブルーヘイルは直ぐさま諸国を併呑するため出兵し、弱小国は次々とイースの領土となっていった。

 人々がグエディンと呼ぶ沃土。

 河は緩やかに流れ、数十万の人々の喉を潤しても不足することはない。 土地は柔らかで険が無く、森の木々は健やかに天高く伸びる。
 そのグエディンの北域。西に黒の海とよばれる内海。東にイースの領土の半分に匹敵するほどの広さを持つ大塩湖。二つの大きな水域に挟まれた地にイース王国はあった。今やグエディンの北域でイースに対抗できる国は皆無となっていた。

 ブルーヘイルの野望は止まることを知らなかった。
 次に彼は西域に軍を進めた。果たせるかな、西域の諸国はイースの凶猛な軍事力に次々と打ち倒され、二年後にはその半分がイースの領土と成った。

 イースの国の急速な拡大は既存の大国の怒りを買うことになる。特に西域で支配的な影響力を持っていたオスカの国はイースの侵略行為に対し激しく憤り、反撃の狼煙を上げた。
 イースよりも歴史が古く、戦争経験の豊富なオスカは反撃開始から半年余りで西の領域の殆どをイースから奪い返してしまった。更にオスカは攻撃の手を緩めず、北の領域に侵攻を開始した。

 イースは敗戦を重ねた。

 勢いに乗ったオスカ軍五万は既にイースの王都イスタップに三日までの距離に迫っていた。しかしイースにはオスカ軍を迎え撃つ兵は残っていない。王都を守る兵は一万にも満たなかった。

 ブルーヘイルは大きく溜息を吐いた。己の命運が尽きたことを認めたくはなかったが、現実は猛虎の牙のように希望を噛み砕いた。
 彼は最後の決断を下すため腰を上げ、近習(きんじゅう)に声を掛けようとした。

 突然、油灯の光の届かない広間の隅から、しわがれた声が聞えた。

「王よ。汝の懊悩(おうのう)を除いてしんぜようか」

 声は、深々と、鬱々と、広間に響いた。
 ブルーヘイルの身体は恐怖のために固まった。目を凝らしたが、声の主の姿を捉えることができない。

「何者だ!」

「我が名はナンビィング。虚無を統べる者なり」

「虚無を統べる? どういう……」

「我の素性など今この時に意味をなそうか? 祖国の滅びの時に、汝の今際(いまわ)の時に……」

 ブルーヘイルは奥歯を噛みしめた。

「――ああ、その通りだ。お前が誰であろうと、どうでも良い。俺を殺しにきた暗殺者ならば今すぐ命をくれてやる。この先生き延びたところで数日だろうからな」

 ブルーヘイルは崩れるように玉座に腰を落とした。

「ならば我と約せんか、王よ」

「約す?」

「我が、オスカの軍勢を退かせよう。汝は約の対価として……」

「どうしろと言うのだ」

「――汝の子の命を差し出せ」

 ブルーヘイルは息を呑んだ。

「俺の子を犠牲に差し出せというのか。まだ腹の中にいるのだぞ……」

 王妃のグリーンウッドは臨月を迎えていた。皮肉なことに、数日中に出産を迎えるだろう。国の死と我が子の生が天秤の上に載っているようだった。

「国が滅びれば、子の行く末も無かろう。ならば数多の民の為、未だ産まれ得ぬ赤子の犠牲など易きことではないか」

「そ、それは……」

「子は、また成せば良かろう」

「――本当にイースは助かるのか?」

「万が一、し損じれば、子の命は取らぬ」

 ブルーヘイルは目をつぶり、眉間に深く皺を寄せる。例え相手が魔物だとしても、イースが救われるなら良いと思った。
 グリーンウッドの優しい顔が浮かぶ。子ができたとブルーヘイルに打ち明けた時の彼女の嬉しげな微笑み……。
 心中に温かい思いと冷たい思いが渦巻き、激しくぶつかり合った。
 だが、次第に優劣は明らかになっていく。

 勝敗が決した時、ブルーヘイルの心は永遠に凍てついた。

「わかった……。ナンビィングよ、イースを救ってくれ」

「心得た、王よ。確かに約したぞ」

 言葉が終わると同時に広間の隅にあった幽(かす)かな気配は消えた。

 ブルーヘイルは肩を落とし、油灯の光の力が及ばない闇に目を遣った。漆黒の闇は意志を持つかのように彼を見つめ返す。
 東の空が白むまで、ブルーヘイルは、ずっと闇を見つめ続けていた。

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  1. 鬼編集長
    鬼編集長

    実は文豪への投稿で最も多いのは、創作ファンタジー系の作品である。

    しかしこの分野は 残念ながら作者の趣味や自己満足に終始しているものが殆どで、編集者の目から見た「売れる作品」とは程遠いのが常だ。

    文豪が10月1日から審査制になったのも、自己満足作品を排除するための措置である。

    かくして審査制導入以降、自己満足作品は公開されることを厳しく制限された。(審査以前の作品も順次吟味し直す作業をコンシェルジュに要望中)

    また、審査を通過して公開された作品でも 鬼編集長のコメント希望は、そのレベルにあらず として却下してきた。

    したがって、私 鬼編集長がコメントを書くのはこの作品が第1号である。

    作品自体の「優劣」を第1話しか公開されていない現時点でつけることは出来ないが、情景描写、文章構成、ストーリー展開 いずれも今後の発展を期待させるものである。

    唯一懸念される事項は、ファンタジー作品が陥りがちな「オタク系自己満足作品」になることで、そうならないことを願ってやまない。

    また、対象読者層を把握されて 難読な漢字や固有名詞には最初の1回 読み仮名をつけるなどの配慮があれば尚良いと思う。

    • 朝羽 ふる
      朝羽 ふる

      初めまして朝羽ふると申します。

      丁寧なコメント有り難うございます。ご指摘の点について多少の手直しをさせて頂きました。今後の作品の中でも励行していきたいと思います。

      ファンタジーに対する御意見、全く自分も同感です。作品は読んでくれる人あってこそのものであり、オナニー的なものでは駄目だと思っています。この作品も、そうならないように出来る限り努めようと思っています。

      最初ですので堅苦しい返信となってしまいましたが、ご容赦ください。
      今後とも厳しい御指摘を宜しく御願いします。

  2. つるこ。
    つるこ。

    朝羽 ふる 様

    はじめまして、朝羽 ふる様。
    つるこ。と申します。
    貴作『真白き雪のような君へ』の第一話、拝見いたしました。
    硬めの言葉選びが、印象的で、作風によく合っているように思います。個人的にも好きです。
    鬼編集長様がおっしゃっているように、現時点ではストーリー面についてのコメントは致しかねますが、以降の展開が気になる第一話でした。
    あえて申し上げるとすれば若干、言い回しが堅苦しすぎるのかなということでしょうか。
    開いたほうがいい漢字もちらほらと。
    しかしそれもまた作品の個性や味ですし、いってしまえば好みなので、一読者の意見として聞き流していただければありがたいです。
    あるいは、こういうものも期待の裏返しというような形で受け取っていただけると幸いです。
    これからも頑張ってください。第二回目の連載、楽しみにしております。
    それでは失礼いたしました。 つるこ。

    • 朝羽 ふる
      朝羽 ふる

      初めまして、つるこ。様

      つるこ。様のご指摘通り、自分の書く小説で、特に第三者視点のものは、どうしても言い回しが堅苦しくなってしまうんです。
      自分でもわかってるんですけど、技術不足と言うか不器用と言うか、作品に対して熱が入るほどその傾向が顕著になってしまいます。かと言って平易な言葉を使おうとすると、根がお調子者なので、どんどん崩れていってしまうんです。
      だから、この点に関しては読者の皆さんに申し訳なく思っています。もう少し文章の勉強をしなければならないなと感じています。
      話は変わりますが拙い文章を読んでくださって有り難うごさいます。コメントを頂けるだけで今後の励みになります。これからもどうぞ宜しく。

      朝羽ふる

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